わたしから、プロポーズ
温かくて、柔らかい唇だけれど、それには何も感じない。
むしろ、嫌悪感が胸に広がる。
舌を絡ませる様なキスに、息が止まった。
「嫌!何するのよ!」
思わず体を押しのけると、弾みでクラクションが鳴った。
物音一つしない場所でのクラクション音は、驚くほど響く。
すると、誰もいないと思っていた場所から、中年の男性が出てきたのだった。
その人は、小さな小屋の様な場所から出てきて、作業服姿をしている。
どうやら、この場所は完全は廃虚ではないらしい。
珍しくクラクション音がしたからか、様子を見に出てきた様だった。
「人がいたんだな」
ヒロくんはそう言うと、エンジンを掛け車を走らせた。
助かった•••。
勢いで車を飛び出ようかとも思ったけれど、あんな場所では行き場がない。
とりあえず、人通りの多い場所で降りなければ。
「大通りに出たら停めて。一人で帰るから」
低い声で、怒りを伝える。
ヒロくんが、私のその様子が分からないわけがなく、素直に応じてくれたのだった。
「分かった。だけど、俺は謝らないよ。本音は、力づくでも莉緒を奪いたかったから」
「何で?そんな事をされたからって、瞬爾よりヒロくんを好きになるわけがないじゃない」
酷い。
これほどの裏切りがあるのかと思うほどだ。
信じていたのに。
ヒロくんを信じていた心は、裏切られてしまった。
「分かってるよ、そんな事は。だけど、どうしても止められなかった」
ヒロくんはそれだけ言うと、スピードを上げて大通りへ出ると、車を止めたのだった。
そして、車を降りる間際の私に声をかけてきた。
「さっき、人がいて良かったって思ってる。もし、あのまま二人きりなら、俺は莉緒に一生恨まれる事をしたと思うから」
「キスでも、私が恨むには十分よ」
一度もヒロくんに顔を向けないまま、車を降りると、まだ明るい街へと向かったのだった。