イジワル同期の恋の手ほどき
やがて、夕日が沈みかける。
オレンジ色にきらきらと輝く雲が幻想的で美しい。
光の筋が下に何本も伸びている。天使のはしごだ。
「きれいだね」
「ああ」
都会では見ることのない光景を前に自然と言葉が少なくなる。
夕日を見ているとなぜか小さい頃の夕方の風景が思い出されてもの悲しくなる。
もっと公園で遊んでいたいのに、友達と別れて家に帰らなければならない、あの時の切なさみたいな感情が湧き起こってくる。
「私、夕日はもうほかの人と見たくないかも」
そんな言葉が無意識に口から出ていた。
頭で考えて言ったのではなく、ごく自然に。
「えっ?」
宇佐原が驚いた顔でこっちを見る。
「ほら、宇佐原がさっき言ってたじゃない。ほかの女の子と来た場所には私を連れていったりしないって」
今日二人で行った場所もそうなのだろうか。
宇佐原には好きな人がいると聞いたばかりなのに、私とだけの思い出の場所にしてほしいと心のどこかで願っている自分がいた。
「ああ、言った」
「それとおんなじ。こんなきれいな夕日見たら、どこの夕日見ても、今日のこと思い出しちゃいそうだから」
ほかの誰でもなく宇佐原と見られたから幸せな気分でいられるのだと、今ここで言いたかった。
「俺も。今日、おまえと行ったところには誰も連れていきたくない」
そう言ってやわらかく微笑む宇佐原から目が離せなくなる。
宇佐原の言葉がうれしかった。
自分と同じ気持ちでいてくれていることが。私たちの間にはとても穏やかな時間が流れていた。
「沈んじゃったね」
夕日がすっかり山の向こうに消えた時、しみじみとして言った。
「ああ」
そのまま余韻を楽しむように、無言でしばらく座っていた。
山際に少し残っていた夕焼けの名残も消え、少しずつ辺りがほの暗くなっていく。
対岸の人通りもまばらになる。
「そろそろ、行くか?」
「うん」
立ち上がろうとした時、宇佐原がすっと手を差し伸べた。
「ありがと。宇佐原って、案外フェミニストだよね」
その手に掴まって立ち上がりながら、言った。
「そんなことない。誰にでもこんなことするわけじゃないしな」
宇佐原の表情は辺りが薄暗くてよく読めない。
さっきから宇佐原の言葉になにかが引っかかる。
宇佐原の好きな人、宇佐原が関係を大事にしたいと思っている人、いったい誰なんだろう。
聞きたいけど、聞くのが怖い。
「さて、時間大丈夫なら、夕飯でも食ってくか?」
「うん、お腹空いたよね」
先ほどのどこか危うい雰囲気が、途端にいつもの調子に戻る。
車に戻ると、宇佐原がポンと小さな袋を膝の上に置いた。
「なに、これ?」
「食っとけ。また、気分悪くなったら困るからな」
そう言われて袋の中身を取り出すと、大福だった。
「あっ、つぶあん」
やっぱり、宇佐原は私の好みをわかってくれるとうれしくなって、夢中で頬張っていると、宇佐原がぷっと噴き出して、口の周りについた白い粉をはらってくれた。
「おまえ、ほんと子どもみたいだな」
「子どもで悪かったわね」
口に大福を含んだまま言ったので、言葉にならない。
「わかった、わかった、ゆっくり食え」
宇佐原が楽しそうに笑って、また頭をポンポンとする。
食べ終わって、ミラーを取り出して、口元を整えてから、「おいしかった、ありがと」と微笑む。
鞄から取り出したのはいつもの『川田屋』のほうじ茶。今日は少し熱めに入れてきたので、水筒のコップで冷ましてから飲む。当然のように横から手を出す宇佐原。
「少し冷えてきたな」
そう言って、宇佐原が後部座席から取り出したのはひざ掛けだった。
「おまえ、近いから」
細やかな気遣いに、せっかく人が感動していたのに、その一言で台無し。
「デリカシーない。本当のデートでもそんなこと言うわけ?」
この前言われた台詞で返すと、宇佐原がくつくつと笑った。
「相手にもよる。でも俺は気を使わせるような関係は嫌だな。ありのままの自分を見せられる関係になりたい」
「それ、私も同感」
そう言いながら、今日一日、お手洗いに困ることはなかったなと思った。そして、私にそんな心配をさせないように、宇佐原がさり気なく配慮してくれていたのだと気づく。宇佐原はやっぱりフェミニストだ。
帰りの車内で、寝不足の原因がお弁当にあったことを打ち明けると、てっきりバカにされると思っていたのに宇佐原は優しく微笑んでいた。
「ほんとにうまかったよ、今日の弁当。メニューも味付けも俺好み。自信持っていいと思う」
私はやったーと、思わず歓声をあげた。
それから、これまでのお弁当作りの苦労話をあれこれ話しているうちに、あっという間に帰り着いた。
レンタカーを返してから向ったのは、焼き肉店。
ここも時々立ち寄る店だった。
窓に向かった二人席は御簾で隣と仕切られていて、狭いながらも落ち着くので気に入っていた。
「ああ、うま~」
生中を手に、宇佐原がビールの味を深く味わいながら言う。
「運転、お疲れさま。楽しかったね!」
「俺も」
宇佐原の目がいつもより優しく感じて、うれしくなって微笑み返す。
「さあ、どんどん焼くからね」
肉を網にのせるのは私の仕事と決まっていた。
食べるペースを見ながら、焦がさないようにひっくり返す。
「おまえ、ほんとタン好きだよな」
大好きな塩タンを頬張っていると、横で宇佐原がおかしそうに笑っている。
「宇佐原は、肉ならなんでもOKだもんね」
「いや、『チーズチキンバジル』だけは、強いて食いたいとは思わない」
「ひど~い。もう絶対にあげない。これ、全部一人で食べる」
アルミホイルでチーズを溶かして、焼いたバジルチキンにからめて食べるメニューをけなされて、チキンを自分の手元に隠す。