星空の四重奏【完】
「うっ……」
寝返りを打とうとしたが、首に痛みが走り固まるシーナ。まだ本調子には程遠い。
カーテンから溢れる陽射しが明るいとわかり、焦る。
(朝?昼?どっちでもいいけど……ん?どっちも悪いじゃない!絶対、営業開始時間過ぎてる!)
ひとりあたふたとするシーナ。なんとか身体を起こそうと試みる。どうやら、首と足首の損傷が激しいらしく、そこ以外はわりと痛くなかった。
片足で立ち、首も極力動かさないように数歩歩いてみる。
(なんとか、ひとりで歩けそう。そんなに酷くないのかもしれない。それなら、何か手伝えるよね)
取り敢えず階下へ降りようとドアを開ける。しかし、シーナはあり得ないものを見て絶句した。
ドアを開けた反対側の壁に、背中を預けたレンがうとうとと眠っていたからだ。
(どうしよう……正直邪魔なのに。そこにいられたら絶対に止められるし、起こしちゃいそう)
壁に手を付きながらしかまだ歩けないシーナにとって、レンがいる場所はそのルートの妨げになっている。どうやって切り抜けるか考えあぐねいていると、いきなりレンの瞳がぱちっと開いた。
ビクッと肩を上げたシーナ。なんの前触れも無くレンが目を覚ましたので、怖く感じた。それと同時に、バレた、という焦燥感。
レンの瞳がシーナの顔を捉えた時、安堵が窺えた。
「起きたか……歩けるのか?」
「はい……一応ですが」
「無理はするなよ。階段降りられるか?手伝うか?」
「……手を貸して欲しいです」
「わかった」
レンは徐(おもむろ)にシーナの身体を抱き抱えると、そのまま階段へと歩き出す。
(わたしが出て行くってわからないのかな)
シーナはその事が気にかかっていた。普通、こんな身体で動いていたらベッドに戻そうとするはずだ、と思ったのだ。
しかし、彼はしなかった。逆に手伝うと申し出た。
(やっぱり、不思議な人だな)
おもしろい人だとは思ったが、それ以上に何を考えているのかわからない。
苦手という感じはしないが、取っ付きにくいときがときどきある。
ガードが硬いと言えばそれまでだが、他人を深くまで踏み入れさせない何かがあると、シーナは思った。
よたよたとしながらも、なんとか階段を降りきった2人。1階には誰もいなかった。
「ありがとうございました……あの、皆さんは?」
「マスターとおばさんとギルシードは買い出し、ロイは仕事をしに出掛けた」
「ギルシード?ロイ?」
「ああ、きみはまだ名前を知らなかったんだな。口調が荒いのがギルシードで、メガネをかけた青年はロイ。
2人は一応規範を犯した者たちだが、まだ野放しにするそうだ。今後どうするかは決まっていない。何しろ適応者だからな、処分を与えるのは難しい。それに、きみを一緒に救ってくれたやつらだからな」
「ええっと……適応者ってなんですか?」
「話は長くなるが……まあ、いいだろう。適応者とは、魔物が普段身を隠している世界と、この世界……現の世界中とを自由に行き来できる人間のことを指す。
一方的に魔物が一般の人間を連れ去れば、影の世界に入ることはできるが、出ることはできないだろう」
「魔物って……奴等、のことですよね?」
「そうだ。奴等はわりと最近になってから出現した。と言っても、百年以上前からだが」
「そうなんですか……ああっ!」
「どうした?」
「ええっと……その……あの……」
「……きみの言いたいことはわかっている」
「へ?」
何かまた聞こうと思ったシーナだが、ちらりと時計が視界に入り大声を出した。その時間は開始時間を優に越えていた。
レンに理由を聞かれしどろもどろになっていると、レンは察したようで目を伏せながら言った。
その意外な言葉に変な声が出たシーナ。しかし、そんなことよりもレンの言葉が気になる。
「わかっている……?」
「ああ。仕事をしに行きたいのだろう?」
「……はい。そうです。なのでこんなところで無駄話をしている場合じゃないんです」
「何も知らないきみにこんな言葉は酷だが、言わせてもらうと、きみがしたいことの方が無駄足になると思う」
「……は?何を言って……」
「俺の言葉を信じるか、その目で信じるかはきみ次第だ。率直に言うと、きみはクビになった」
「……クビ?」
訳がわからない、という風に口をへの字にさせたシーナ。しばらくその単語を反芻させていると、ようやく意味がわかったのか、だんだんと青ざめる顔色。
それを、レンは心配そうに眺めた。
「クビ?どうして……なんで……団長は……」
「きみが再起不能な身体になっていた場合、きみの回復を待ってまでここに止まる理由はない。今日出発するはずだったが、事情により昨夜この街から発った」
「……そんな」
「団長が昨夜ここを訪れ、すべて説明してくれた。きみをクビにする理由をな」
「そんな……団長が、ここに……なら、なぜ言ってくれなかったんですか!なんで、起こしてくれなかったんですか……」
「団長自身の希望だ」
「そんな……だって、家族なのに……拒否されたら……わたしに、生きる意味ってあるんでしょうかね?」
カウンターの席に座って話していた2人。感情が高まったのかシーナはレンに服に掴みかかったが、だんだんとその覇気がしぼんでいく。
クビ、という単語だけで、全てを否定されたかのような悲しみ。
団長は何も感じていないのかと、シーナは思わずにはいられなかった。
「……信じるのか?俺の言葉を」
「だって……嘘をつくような人には見えませんし……」
「真実を簡略化した言葉が、クビ、と言ってもか?」
「え?」
「彼女からの伝言は、シーナはクビになったということだけだが、口止めはされていないからな。
俺はこれから独り言を言う。返事はするなよ。人の独り言に口を挟むな」
「え……」
一方的にそう言われてしまい、言い返す言葉も見つからず押し黙るシーナ。
しばらく眉をひそめた後、身体を離し、カウンターにうつ伏せになった。首が痛くない角度を探して。
目を閉じて、寝たフリをする。シーナは踊り子でも、役者だ。演じきるらしい。
そんなシーナに心でクスクスと笑ってから、つらつらと言葉を口にするレン。
それは、昨夜の団長との会話の内容。シーナをどう想っているのかということや、クビにする理由などを淡々としゃべるレン。
シーナが肩を震わし鼻を啜る音が聞こえて来ても尚、続く言葉の羅列。
独り言にしては長い時間が経った頃、レンは口をつぐんだ。もう、話すことはない。
そして、彼女もまた、嗚咽を堪えるので精一杯な様子だった。
そんな彼女の銀髪にレンは手を添え、軽く撫でる。
「これも独り言の続きだが、泣きたいときに我慢しては、もたなくなる。いつかは壊れてしまうだろう。それなら、溜め込まずに今壊れてしまえばいい。生きる意味など、考えるものじゃない。見つけるものだ。
……ひとりではないんだからな。大勢で探せば、早く見つかる」
温かい雫は、小さいけれども輝いている。
黒い水の中に沈んでも、その輝きは衰えない。それどころか、その光を辺りに撒き散らし、黒をも染め上げる。
……温かい色へと、染み渡る。
何かが切れたように泣き出すシーナ。しかし、決して顔を上げようとはしない。
ひとりでに泣き出した変な女性を演じ続ける。
「……顔を上げろ。俺を見ろ」
レンに言われるも、上げようとしないシーナ。
仕方なく、首が痛くならないようにそっと頭を持ち上げるが、やはり痛みがあるのかその手をパシパシと叩くシーナ。
「痛いのなら、自分で上げろ」
シーナは渋々顔を上げレンに向けた。
すると、両頬を包み込まれ、驚きで顔を赤くした。
「きみは、ひとりじゃない。俺がついている。だから、自分だけの中に止めるんじゃない。俺にもさらけ出して欲しい。きみの、心を」
真っ直ぐに見つめられ、そんな言葉を投げ掛けられ、そして、涙の跡を親指で拭かれ……
シーナは、頭が真っ白になった。
しかし、悪い意味ではない。良い意味で、だ。
悲しみが、嘘のように洗われ、その中から白い心が現れる。
顔を出したその感情に、シーナは戸惑っていた。
(変だ。変だ。変だ。わからない気持ちがわたしを埋め尽くそうとしている。そんなわたしだけど、イヤじゃない。温かい、むず痒い。変だ。変だ。わたしが、わからない)
自分の中で芽生えた小さな感情。小さいけれど、大きな影響。
小さな感情は、大きな感情へと成長していく。
それを受け入れられないでいるシーナに、レンがさらに追い討ちをかける。
「俺が、きみの家族になってあげよう。団長という母親に頼まれたんだ。無下にはできない」
シーナはさらっと聞き逃した……はずだった。いや、できなかったのだ。
(家族?まだ出逢って間もないのに?まだ知らないことの方が多いこの男の人が?家族?え?え?え?それって……ええええええ!?)
あり得ないだろうと思いながらも、その結論が出てしまい、湯気が出そうな程に赤面するシーナ。
そんなシーナをただ見つめるだけのレン。
たった今、小さな感情が、大きな感情へと急成長してしまったシーナ。思考がピンクに染まる。
自分の気持ちに今気づいたシーナは、ただ見つめられている黒い真っ直ぐな瞳に、いたたまれなくなる。
(待って待って待って待って!それってあれだよね……告白……だよね?え?合ってる?違うの?え?え?)
パニック状態に陥っているシーナ。しかし、そんな荒れた感情は外からは窺えず、ただ黙って目を泳がせているとしかわからなかった。
そんなシーナにレンは言葉をかけたが……その言葉で彼女は今までの胸のときめきを返してほしいと思った。
「……俺じゃダメか?……兄になるのは」
「……へ?」
「俺も兄弟がいないから経験不足だ。そんな俺がきみの兄になるのは図々しいか?」
「……いいえ、よろしくお願いします。わたしも兄弟、欲しいなって思ってました」
「いきなり申し出て困っただろうが、これでも俺も迷ったんだ。何も知らない者同士が兄弟になれるのかと……」
手を離し、照れ臭そうに話すレンを目の前にして、シーナは気持ちが正常に戻って行くのを感じた。
浮かれた自分がバカみたいに思え、心の中でため息をついた。
しかし、自覚してしまった気持ちには嘘はないとはっきりとわかっている。
(……どうなっちゃうんだろう)
彼女はレンの顔をぼやっと眺めながら、先のことを考えていた。
その頃、居酒屋の裏から声が聞こえている。
「あちゃー……レン。昔と変わったと思ったんだな。これはあんまりだな」
「見た?シーナちゃんの顔!百面相をしてたわよね」
「そうっすか?俺は気づかなかったっすけど」
「もう!ホント男ってバカばっかりなんだから!」
「しかし、レンがあんなこと言うとはな……意外だった」
「そうなんすか?」
「ええ。昔はいつもひとりぼっち。なんで?って聞いたことあるんだけどね……」
「俺は群れるのは嫌いだ、とバッサリ切り捨てやがった。可愛くないヤツだったが、根気よくやっていったら、丸くなったもんだよな」
「そうそう」
「……あのー、それで、俺らの処分は?」
「揃ったら話す」
「へい……」
その後もひそひそ声は続いたが、タイミングを計ってぞろぞろと動き出した。
どうなることやら───