星空の四重奏【完】
イ
朝を迎え、テントを畳む。
パンを口でもぐもぐとさせながらシーナは遠くの方を眺めていた。
昨夜は暗くてわからなかったが、広々とした草原。遠くの方ではなにやら大きな鳥が滑空している。
「……はあ、ねみぃな。つか、熱くね?」
「そうですね。夜は寒かったですけど」
「ここら辺の気候は気温差が激しい。そのため、体調を崩しやすいから気を付けろ」
「それ、早く言ってくださいよ」
「……平気だと思ったんだ」
「……ずびっ」
温かいコーヒーが入ったコップを両手で挟みながら手を温めるシーナ。
実は、シーナは風邪をひいてしまったようなのだ。さっきからたまに鼻水を啜る音が聞こえて来る。
昨夜のお喋りが仇となったようだ。
「これからどんどん暑くなるぞ。こまめに水分補給をしろよ」
「それに、歩きますからね。体温調節が難しそうです」
「後何日くらいで着くんだ?あの山の向こうだろ?」
「着くのは明日の午後か夕方か、そのくらいだろうな。あの山脈の麓に村があるから、そこで宿を取る」
「んじゃ、ちゃっちゃか行こーぜ」
ギルシードが立ち上がると、それに習ってぼちぼちと旅支度をする一同。
シーナはレンに助けてもらいながら、サラの背中に乗る。最初は慣れなかった定位置だが、今となっては心地良い。
サラの背中を撫でていると急に鼻がむずむずしだし、くしゃみを漏らしたシーナ。
不意討ちだったのか、そのくしゃみに驚いてサラがドドドドド……と急に走り出す。
後ろから呼び止める声が聞こえるものの、なす術がないシーナ。取り敢えず振り落とされないように手綱に必死にしがみつく。
悲鳴を上げようにも舌を噛みそうでできない。しかし、このまま進んで行ってしまってはみんなとはぐれてしまう。
いろいろと対策が思い浮かぶもどれも無理だと断念する。このままでは本当にはぐれてしまいそうだ。
ギャロップ走行で走ったことがなく、手綱をどう操ればいいのかパニックに陥るシーナ。
が、突然サラが歩調を緩めた。
それを合図に、手綱を引くシーナ。サラはそれに素直に従いピタッと立ち止まる。
「やっと止まった……」
ずっと歯を食い縛っていたため、顎が痛い。
しかし、目の前に現れた生き物によっていっきに血の気が引き、痛みなどはぶっ飛んでしまった。
「お、狼……」
そこには一頭の黒い狼が佇んでいた。
サラとシーナを凝視し、様子を窺っている。
シーナはサラの手綱を引いてみるも、動きそうにないサラ。
すっかり狼に怯んでしまっている。このままでは埒があかないし、襲われるのも時間の問題だと焦るシーナ。
しかし、その気持ちに反して狼がこちらに近寄って来た。青い瞳が近づいて来る。
今にも襲われそうな距離まで歩いて来たとき、ピクッと狼が耳を動かし、鼻を上に向けた。
そして、オオーンと遠吠えをひとつ。
「ハイヤー!行け行けー!行っちゃえー!」
と、まもなくして元気な女性の声が聞こえて来た。
声の方を向くと、栗毛の馬がこちらに走って来ていた。そして、そこに乗っている茶髪の女性。
キキキーと急ブレーキをかけ、シーナたちの横で止まった。
乗っていた女性が馬から飛び降りる。
「モモ!」
と腕を広げて狼に向かって微笑んだ。狼は女性に走り寄るとそのまま頭突きをくらわす。
「ほげっ!……温かい歓迎ありがとう」
少し噎せながらもお礼を言って狼の頭を撫でる彼女。
その光景をシーナはぽかーんと眺めていた。
そんな狼に苦笑しながらも、女性は立ち上がってシーナを見た。
「あんた、誰?知らないヤツだけど。荷物も持ってないし。何者?」
少し尖った言い方で質問する女性。
その黒い瞳には怒りの光が見えている。
「え、ええっと……仲間とはぐれてしまって」
「仲間?何人?」
「3人、です」
「男?」
「はい……」
「目的は?」
「フロンターレを目指していて……」
「フロンターレ?じゃああんたたちは依頼人?」
「いえ、その……」
まるで尋問のように矢継ぎに質問を浴びせられるシーナ。息継ぎもままならずに頭をフル回転させる。
(依頼人じゃないけど、でもわたしは志願者じゃないし、でもそのためにフロンターレに行くんだけど……でも、志願者だって勝手に公言してもいいのかな)
語尾を濁したシーナに痺れを切らしたのか、イライラと歩み寄る彼女。
そして、シーナを睨み付けた。
「ここがどこだか知ってんの?」
「知りませんけど……」
「ここは保護区よ!動物たちの憩いの場!勝手にそんなでっかい馬をドカドカ走らされたら小動物たちが怯えるでしょーが!」
いっきにそう捲し立てられ汗をかくシーナ。どうやら気温が上がってきたらしく、上着が暑いようだ……ということもあるし、彼女の威圧に当てられたと言っても過言ではない。
腰に手を当てシーナを睨み付ける彼女は、何も言ってこないのに不信感を抱いた。
「もしかして……密猟者!?」
「ち、違います!断じて違います!」
「じゃあなんなのよ!」
「それは……」
どう答えたら良いものかと目を泳がせていると、僅かに遠くから声が聞こえて来た。
……主に、元盗賊の男の声だが。
「あの馬、田舎育ちってーのは伊達じゃねぇみてーだな!」
「それは……ろ」
「あっ!見え……た」
「なんか女がいるぞー」
「ん?あ……」
「知り合いか?」
「あ……で……だ」
「なんか怖い顔してんぞー?」
ギルシードの声しかまともに聞こえないが、どうやらレンとこの女性は知り合いらしい。
必死に走って来る3人を凝視していると、女性が声を張り上げた。
「レンじゃん!あんたなんでこんなとこにいんのよー!」
レンはその言葉に答える代わりに走るスピードを上げた。
そして、走り着き肩で息をしながら質問に答える。
「フロンターレ……に、行く……ためだ」
「フロンターレ?なんで?」
「志願者を、入団、させる……ためだ」
「この子も?」
「それは、本人次第だと思っている」
息を整えるのを止め、言葉を流暢にさせるレン。しかし、他の2人はぼーっとしている。
「へえー、この子もねぇ。ってことは、この3人は適応者だったりするわけ?」
「そうだ」
「ふーん……」
ふむふむ、と顎に手を添えて頷く女性。シーナは自分でサラから降りて自己紹介をする。
「はじめまして、シーナです」
「あたしはトリカ。レンとは同期で5つ星ランクだよ」
「同期、ですか?」
「ああ。養護施設があると言っただろ?そこで知り合った」
「げっ!レン、それは秘密だから話しちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「良いんだ。俺はシーナを信頼しているから」
「へえー。人間何があるかわかったもんじゃないわね」
「はあ?」
2人が何やら自分には関係ない話を始めたな、と思い、ギルシードとロイに声をかけるシーナ。
「大丈夫ですか?」
「はい。良い運動になりました」
「……つーか、おまえらどんだけ突っ走ってんだよ!しかもはえーしよー」
「す、すみません……でも、あの狼のおかげで止まることができました」
「ん?おおか……近っ!気づかなかったぜ」
「本物を見るのは初めてです」
狼は自分のことを言われてあると気づいたのか、鋭い光を放った眼差しで3人を見つめる。
それに苦笑しながらじーっと観察していると、トリカが狼について話してくれた。
「この子はモモっていうんだ。女の子なのよ!」
「まさかの雌……怖くね?」
「ぜーんぜん!優しいんだから。さっきも遠吠えであたしを呼んでくれたし」
「ああ、あの声はモモのだったのか」
「そうよ。モモはここの見張り番。そしてあたしはここの保全を任された区長よ。こうやって訪れた人のガイドをしたり、物騒な輩は他所にやってる。
密猟されたらたまったもんじゃないからね」
「お転婆だからな……」
「ちょっと!それ言わないでくれないかな?そんな昔の通称なんて!あんたなんか漆黒だったじゃないのよ!」
「俺は別に気にしていない」
「影も気配も薄いから、闇に紛れてるみたいで漆黒よ!つまり存在事態が薄かったの!」
「きみはその名の通りお転婆。何よりも3度の飯と運動。その次に動物愛だったよな」
「……皮肉には皮肉で返してもらいたいもんだわ。あーあ、やってらんない。
ところで、今フロンターレの周りの気候がおかしいって知ってる?」
「気候?」
この寒暖差だけでも嫌気がさすのに、さらに異常気象とは。考えるだけでも厄介だと思う面々。
モモはお役ごめん、とでも言うかのようにどこかへ走り去ってしまった。
サラと栗毛の馬もつまらなくなったらしく、そこら辺の草をむしっている。
「なんか、ブリザードが激しいんだってさ。いつもはもっと後なのに」
「ブリザード、か……」
「だからね、レンが通ろうとしてるルートじゃ多分たどり着けない事態になりかねないと思うよ」
「では、どこを通るんだ?」
「トンネルよ!山の中には昔っからトンネルがあるの。それはつい最近発見されて、御用達になってる」
「なるほど……だが、場所がわからん」
「あたしが案内してあげるわよ!入り口までだけど。そこからは真っ直ぐだから平気よ」
レンはちょっと考える仕草をしてから、トリカに向かって頷いた。
「よろしく頼む」
「決まりだね!じゃあ早速行こうか!」
「あっ……あの馬はどうするんですか?」
「もともと野生だから置いて行ってもへーきへーき。自由気ままに生きてるよ」
「シーナ、サラに乗るぞ」
レンにサラに乗せてもらい、一行は歩き出す。
サラはお腹いっぱいになったのか、先ほどよりも足取りが軽い。思いっきり走ってすっきりしたからかもしれないが。
トリカを筆頭に、ぞろぞろと歩く。
だんだんと気温も高くなり、自然と口数も少なくなって来た。しゃべれば口が渇くからだ。
「そう言えば、レンは昔怖かったよなー」
「……まだ話すのか」
「いいじゃないのよ。滅多に会えないんだし。昔のレンはねー……とにかく暗かった」
「悪かったな」
「表情もそうだし、オーラとか、戦闘とかも」
「戦闘?」
「影との戦いのときだよ。無表情で次々と剣で凪ぎ払ってた。みんな怖がって誰も手助けに行けなかったんだよね」
「そうなんですか?わたしが見たときは笑ってましたけど」
「嘘、マジで?信じらんない……てか気持ち悪……」
「……悪かったな。俺としては自覚していない」
もしや、産まれながらにして鈍感なのか?!と思わずツッコミを入れたくなった者が2名いたが、敢えて触れずにおいておこう。
レン自身、何に対しても無関心だということは承知している。執着心が無いといってもいい。
執着心がないため、付き合う人は自然と決まっていった。来る者拒まずだが、全員と仲良くする必要はないと思っていたため、養護施設でもその性格は十分に発揮されたと言える。
トリカを始め、男子や先輩、怖いもの知らず……いや、がさつ……の様な連中ばかりがレンと交友を持ちたがった。
後輩や女子は畏敬の念を持っていたため、滅多には交流を持たなかった。
そのため、マスターは内心ひやひやとしているのだ。
このまま異性への気持ちを持たぬまま歳を取るのかと思うと……