星空の四重奏【完】
男……レンは、噴水のところまで戻って来た。
(井戸はどこだ?)
きょろきょろと辺りを見回し、目的の物を探す。
(あった)
それは噴水の向こう側にあった。木の影と同化しわかりづらくなっている。
レンは井戸に近づき、滑車についている紐を手繰り寄せる。パシャッ……と音が聞こえ、水の入った桶が顔を出す。
それを地面に置くと、皮製の水筒を取り出し水を注ぐ。満タンになったところで、水筒の蓋を閉め桶を井戸の中に放り込む。
すると、水面がゆらりと動いた。
(ちっ……奴等のねぐらはここか!)
レンが心の中で舌打ちをしたとき、井戸から大きな影が這い出て来た。咄嗟に後ろに飛び退き距離を取る。
大きな影に続いて、小さな影が後から次々と飛び出して来る。
そして、あっという間に井戸も噴水も埋め尽くすほどの影が出現した。
レンは剣を構え、奴等に斬りかかった。
時間が経つにつれ、数を減らしていく影。しかし、レンはおかしいと思っていた。
(なぜ、誰も来ない?なぜ、こんなにも手応えがないんだ?)
同業者のひとりや二人来てもおかしくないこの状況。しかし、誰ひとりとして現れない。それどころか、人の気配すら感じられない。
(まさか……誘い込まれた!?)
そう、レンの読み通りここは影の空間。影だけが行き来できる次元の違う世界。
しかし、レンはその世界に足を踏み入れてしまったのだ。むしろ踏み入れるように仕向けられたと言った方が正しい。
(運が悪いな……どうしてこうも俺はここに来てしまうんだ)
レンがこの世界に来た回数は決して少なくはない。だが、レンは何回ここに来ようと慣れることはないだろうと思っている。
襲いかかってくる影。小物はその数を減らしていくが、なぜか大物のあの一体だけは動こうとしない。
(親玉は高見の見物か……まあ、その余裕も後少しで終わりだ)
レンは数分で小物をすべて撃退した。噴水の天辺に居座っている大物に狙いを定める。
しかし、大物は動じずそんな彼を見据えていた。
レンは足を踏み出し斬りかかる。
次の瞬間、大物は跳びはね井戸の中に戻ってしまった。
そして、二度と出てくる気配がしなかった。
レンは首を傾げながら剣をおさめる。
そして、思い立った事実に焦りを隠せないようだった。
(しまった!今の奴等は囮か!)
拐われたという令嬢たち。その令嬢をこの街から出し我が物としようとしているのだ。
レンは走り出す。行き先はこの街の出入口、門だ。
彼はポケットからネズミを取り出すと、手のひらに乗せて話しかける。
「奴等はどこだ!」
ネズミはその問いにもぞもぞと方向転換をし、鼻先をある方向に向けた。
「最短ルートで頼む!」
ネズミは了解した!とでも言うかのように短くチューと鳴くと、右を向いた。
レンはそれに従い右に曲がる。続いて左、前、右と、どんどんと路地の奥の方へと誘(いざな)う。
そして、レンが路地から抜けると、そこには奴等の長い行列があった。大きな門は開かれ、大小様々な影がそこから出て行く。
彼はネズミをポケットに突っ込むと剣を構えその行列に突撃していく。
影はそんな彼に気づき、行列を防衛しようとする。しかし、彼はまるで虫を叩くかのように撃墜していく。
消えていく影。そして、レンはちらっと見つけた。令嬢と見られる女性三人が大物の内の一体の脇に抱えられているのを。
彼は躊躇せずそいつに斬りかかるが、他の大物が邪魔をしてなかなか近づけない。
彼には珍しく焦りが生じていた。
がむしゃらに斬るが矢継ぎに大物が邪魔をする。その間にも、女性たちを抱えた大物は門の外へと近づいていた。
「させてたまるか!」
レンは一旦距離を取り、そして、剣を構え直すと列に突っ込んで行った。
回転するように、踊るように剣で凪ぎはらって行く彼。
粗方奴等の攻撃に隙ができ始めると、そのままの勢いで狙いの大物に斬りかかる。
しかし、大物は女性たちを盾にした。レンは一瞬動きを止めるが、そこで攻撃の手を緩めるようなやわな男ではない。
剣を大物の足目掛けて振りきった。大物はバランスを崩して倒れていく。
だが、女性たちがそいつの下敷きになりそうになっている。
(しまった!)
さすがのレンでも女性三人を助け出すには手が足りず、駆け出すも考えあぐねいていた。
二人に手を伸ばすがもうひとりに手が届かない。
レンは焦りを抑えきれず、くそっ!と悪態をついた。
そのとき、残ったひとりの女性を誰かが救い出した。
「ありゃりゃ、さすがの漆黒のレンでもキツかったか」
「マスター!」
誰か、とは昼間に会ったマスターのこと。ひょいっと女性を担ぎ上げレンの隣に立つ。
「残念だったな野郎共!今回は諦めるんだな」
マスターはそう奴等に声を張り上げると、鈴を鳴らした。赤い紐で繋がっている二つの銀の鈴がメロディーを奏でる。
そして、二人の姿は消えていった。
その光景を呆然と眺めていた奴等だが、現状に気づき声にならない雄叫びを上げ始めた。
その雄叫びは木霊し、やがて消えていった。