星空の四重奏【完】



「僕は影の世界で見たのです。ある日、影の世界へと赴きぶらぶらと辺りに視線を送りながら歩いていると、また魔物に群がられている子供を見かけました。その子は僕が接触していた3歳の子供でした。またか、と思い素通りしようとしたのですが、できませんでした」



彼はいったん言葉を切り、眼鏡の奥にある黒い瞳を鋭くさせた。



「なぜなら、子供の影が本人から離れたからです」



その言葉を聞いたとき、俺の身体に電流が流れた。


影が本人から離れ、ひとり歩きをする。


マスターが俺を見つけたとき、俺の影がいったん離れていた、と一度だけ聞いたことがあった。

そんなことあり得ない、と気にもせず今の今まで忘れていた。



しかし、彼の口から出た言葉で頭が冷たくなっていった。




「僕が驚いて魔物を気にせず躍り出ると、影も驚いたように子供の足元へと戻って行きました。そして、魔物も去って行きました。僕は何が起きたのかさっぱりわからずに、呆然としている子供を抱え、元の世界へと帰ろうとしました。

そのとき、子供は僕に背負われながらさよなら、と言いました。そして、深い眠りへと落ちました。子供の目が覚めたのは半日後で、意識がはっきりしてから僕はまた同じ質問をしました。すると、子供は答えたのです。

……怖い、と」




俺はもう、トリカに掴まれている腕の感覚さえもなくなっていた。


マスターの話と、そっくりそのままだ。

違う点は、俺は名前以外のすべての記憶が無くなっていたこと。


……さよならと言ったこと。

それはマスターも言っていた。いや待て、思い出せ、俺はどこで見つかったんだ?マスターはなんと言っていた?



『ゲルベルの森で見つけたんだ』



マスターの声が聞こえたような気がして、振り返った。

そこには、人々の隙間から青い顔をして俺を見つめているマスター本人がいた。視線がぶつかる。


恐らく、彼も俺と同じことを考えている。



俺はまさしく、この現象になったということだ。

なぜ記憶までもが無くなったのかはわからない。しかし、これだけは言える。


その無くなった記憶に、なにか重大な秘密があったのではないか、と。




「要するに、子供は影が離れてしまったことにより魔物と遊んだという記憶が根こそぎ消されていたのです。そして、それは恐怖へと書き換えられていた。それは魔物によることなのか影の世界の性質なのかはわかりません。

しかし、これではっきりとしたでしょう。

僕たち適応者は、魔物に近い存在なのだ、と」




と、ロイはそう締め括ると壇上から降りた。

もはや動くことさえ、声を出すことさえ忘れただ呆然とする面々。

そこに、俺も含まれていた。




「では、これにて解散だ。各々(おのおの)の職務に戻れ。この事は他言無用だ。一切漏らしてはならない。もし、漏れてしまった場合は……

我々の命は、無いと思え」



その言葉で糸が切れたようにふらふらとへたりこむ者、動けずにいる者、泣いてしまう者。

俺はその誰でもなかった。




俺は弾かれたように歩き出すと、ロイが消えて行った方向へとつき進む。トリカがついて来ている気配はしない。マスターも動いていないようだった。

しかし、同じく焦ったように大股で歩いている男を見かけた。以前と背は変わらないが、オーラに棘が無くなったように見える。



「ギルシード」



俺はその男に走り寄り声をかける。



「おお!レン!おまえもいたか!」

「当たり前だ。だが今は再会の感傷に浸っている場合ではない」

「それは百も承知だ。あのやろーに問いただしてーことがあんだよ」

「同感だ」



俺たちは見慣れない黒いコートに身を包んだお目当ての男を見つけ、その肩にほぼ同時に手をかけた。



「……随分と手荒い再会ですね」

「ったりめーだ。おめーがそんなことをこそこそとやってたんだからな」

「それは心外ですね。こそこそとはやっていませんよ。ブランチに頼まれてやったまでです」

「なに?」

「と言っても、僕のやっていることに興味を持ったブランチが接触して来た、と言う方が合っていますが」



と、口だけを笑わせてぶっきらぼうに言い放った。



「なぜ、そんなことをしていた」

「僕自身、気になって仕方なかったことですから。早く大人になって独り立ちをし、家から離れ真相を探る。

だから僕はひとりのらりくらりと手品師をしては稼ぎ、夜になっては魔物が集まって来そうな場所へと赴いた。そして、あなた方に出逢いました。

ところで、シーナさんのことは聞きましたか?」

「シーナ?」



いきなり話の出鼻を挫かれ呆けたように俺は呟く。

ロイは黒ぶち眼鏡をきらりと光らせながら軽く頷いた。



「彼女は今、生死の境目をさ迷っています」




俺はもう、頭が雪のように真っ白になり何も考えられなくなった。







「ここに、シーナが……?」

「はい。ルカンさんがついているそうです」



ロイについてやって来たのは診療所。

ドアのところには立入禁止、という標札があった。

しかし、ロイはそれには目もくれずにノックをする。



「ルカンさん、来ましたよ」

「……名前は?」

「ロイ、ギルシード、レンです」

「はあ……やっと来たわね」



ため息混じりの声がしたかと思うと、ドアが標札を揺らしながら開いた。

そこには疲れたような表情のルカンさんが立っていた。



「さっさと入って」



3人はそそくさと中に入る。ルカンさんは外をきょろきょろと見たあと静かにドアを閉めた。



「シーナがどうしたんだ?」



ギルシードがルカンさんに問いかける。ルカンさんは振り返りながら奥の部屋を親指で指した。

どうやらそこにいるらしい。



「かれこれ1ヶ月は寝てるわ。心臓は動いてるけど意識はないわね。点滴を刺して辛うじて栄養は送ってるけど、その内身体の機能が停止しちゃうわ」

「何が、あったんだ……?」



俺は掠れた声で聞く。ルカンさんはシーナのいる部屋からグレンが出て来たのを見て、それから視線を俺たちに向けた。



「影が、無いのよ」





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