星空の四重奏【完】
「……2人はどうした?」
「え?ああ……ロイさんとギルさんは施設に行ってますよ。なんだか子供たちに好かれたみたいで、今日も行くことを約束したんだそうです」
「そうか」
シーナは読んでいた本から目線を上げ目の前の男を見上げた。レンは素っ気なく返すと近くの椅子に座る。
2人がいるのはちょっとしたカフェスペース。他のお客もぼちぼち思い思いに過ごしている。本部にはバーや食堂の他にランチやドリンクバーを楽しめるカフェもあるのだ。
そこでは本も充実しており、シーナが暇潰しのために利用していたところにレンがいつの間にか現れていた。
「よくここがわかりましたね」
「まあ……なんとなく、な」
「この本、おもしろいんですよ」
シーナは読んでいた本を閉じ、表紙をレンに見せた。絵は風景画や人物ではなく、模様だった。青黒い背景に白や青、赤の点が散らばってまるで長い川のように連なっている。
レンにはそれが夜空に浮かぶ星に見えた。
表紙には白く『夜』と書かれている。
「『夜』なのに、白い字なのか」
「うふふ……そうですね。白い夜も魅力的だと思いますよ。最北の方では白夜って言って、ずっと日が沈まない日があるらしいですし」
「白夜、か……」
緯度の高いところでは白夜と言って、日が沈まない日がある。地平線すれすれを太陽が通過するが決して沈まない。
それでは鶏はいつ鳴くのだろうとシーナは密かに思っていた。
レンは立ち上がり珈琲を頼んだ。ウェイトレスがトレーに乗せて運んで来た。彼の小さなテーブルにコトリと置く。
湯気がゆらゆらと揺れていて、芳ばしい香りが立ち込めた。シーナの鼻腔をくすぐり彼女もまた、そのウェイトレスに注文する。
ウェイトレスが軽く会釈をして立ち去ると、レンはカップを手に取りゆっくりと口に運んだ。しかし、熱かったのか彼は顔をしかめる。
そんなレンを見てシーナは微笑むと、また運ばれて来たカフェオレに息を吹き掛けてから飲む。
……が、それでもやはり熱かった。
「……熱いな」
「そ、そうですね……」
シーナはカップを置いて、カフェオレに角砂糖を入れてスプーンでかき混ぜながら返事をする。その砂糖はみるみる内に原形をなくし、茶色い液体の中へと消えていった。
シーナはそれを見つめながら少し寂しさを感じていた。
(どんなに見た目は整っていても、いずれは崩れてしまう。完璧なんてものはないのに)
シーナはちらっと仲間を盗み見た。完璧と言っていいほどの彼。しかし、彼女が好きな彼ではない。彼は彼なのだが、彼ではない。それが彼であってもならない。
得体の知れないその中身。
溶けた砂糖のごとく、上手く紛れているように見えて実はまったくの別物なのだ。同じように見えても違う。
シーナの目は誤魔化せない。
「その手、どうしたんですか?」
「あ、ああ……ぶつけた」
「どこにですか?」
「心配するようなことじゃない」
「じゃあ、なんで寝癖を直さないんですか?」
手の甲が赤くなっているのに気づいたシーナはそれとなく彼に聞いた。しかし、軽く流されてしまう。それならと、意表をつくような質問を浴びせた。
案の定、彼は怪訝そうな表情でシーナを見つめる。それは探っているような瞳にも見えた。
シーナはここだ、と自分の右下の髪に手を添えた。彼のそこの髪は朝からずっとはねている。
彼は咄嗟に自身の紺色の髪に手をあてて撫でた。確かにそこは少しはねている。
「……気づかなかった」
「珍しいですね。いつも寝癖が酷いとしきりに朝は気にしているのに」
「今日は朝からぼーっとしていたんだ」
「確かに、口数はいつにも増して少ないと思います……」
「……何が言いたい?」
「『光が強くなれば、闇も深くなる』」
「なに……?」
「この本に書かれていたんです。晴天の時の影は濃いですよね。逆に曇っている日の影は薄い。だから……あなたの影の闇も深いのかと思ったんです」
「……で、何が聞きたい?」
怪訝な表情からは一変し、不敵に笑ったレン。とうとう本性を現したな、とシーナは身体を強ばらせた。
どちらの湯気ももう冷めてしまって立ち上っていない。
「あなたは……誰ですか」
「俺はこいつの闇だ」
「闇……?まさか……影……神類?」
「なかなか鋭い。さすがヴィーナスの化身だ」
「ヴィーナスを知ってるの?」
「まあな。俺の名はマーキュリー。俺の片割れにおまえは会っているはずだ」
「マーキュリー!?」
「声がでかいぞ。詳しく知りたいのなら、俺についてこい。場所を移す」
そう早口に言うと、彼は珈琲をぐいっと飲み干し歩き出す。シーナも慌ててカフェオレを飲み干すと本棚に本を戻し後を追う。
『光が強くなれば、闇も深くなる』
光は適応者や『我ら』。闇は『奴等』。
光が強さを増せば、それに比例して闇や影も強さを増す。
だから、『奴等』は動き出した。