背中越しの春だった
自販機でコーヒーを買ってから教室に戻ろうとすると、

水飲み場で水道の水を頭からかぶっている藤と行き会った。


――その冷たい横顔に……私は硬直した。


長いまつ毛の下の黒い瞳は、いつものキラキラした輝きはなく、

ただ底の見えない黒い沼のようだった。

鼻筋から頬にかけて冷え冷えとした影が落ち、濡れた髪が藤の周囲の空気を淀ませている。


見間違いなんかじゃなかったんだ。

こんな表情も、藤は持っていたんだ。


私はその場を動けずに、ただ自分の心臓の音だけが耳の中で大きく響いて、立ちすくんでいた。

小動物のように頭を振って、前髪をかき分けながら顔をあげると、

私に気づいた藤はまるで何でもない顔をして笑った。


「マッキーじゃん。どしたの、そんなとこに突っ立って」


私はきっと、うまく笑えていなかったと思う。


「……藤こそ……何やってんの」

「俺? 俺はさぁ、牛乳ぶっかけられちゃって」

「ダメじゃん……あんなリアルな下ネタで、食べ物で遊んじゃ……」


見てたんだ、と藤はちょっとうつむいた。前髪が下りて、また目もとに影ができる。


「イイんだよ。みんなそうゆうのが、大スキなんだから」


うっすらと、藤は笑った。


ゾクリ、と背筋に寒いものが走った。

んじゃ、と藤が走り去っていく。

ふわりと風が舞って、私は小さく呼吸を整えた。


わずかに手が震えている。

私はそのまま、しばらくその場を動けなかった。
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