ウサギの配達屋

 強い日差しをまぶたに感じて、ぼくは目覚めた。

 つん、と刺すような薬の臭い。知らない場所で、綺麗だけど薄いシーツの中に、ぼくはいた。

 顔を動かし、部屋の中を見渡すと、ぼくの左側にはお母さんが椅子に座ったまま眠っていた。

 毎日きっちり綺麗に化粧をして、それからじゃないと外出しないお母さんが、髪もぼさぼさで、真っ赤な口紅もいまはしておらず、服も昨夜着ていた部屋着そのままの格好だった。袖口に、赤い染みがついている。昨夜のコロッケに添えられていたトマトケチャップだ。

 それを見て、胸がぎゅっと縮んだような痛みを感じた。

 お母さんの膝から落ちてしまったタオルケットを拾おうと、ぼくはベットから下り音をたてないよう静かに手を伸ばした。

「……テト?」

 眠っていると思っていたお母さんの声が間近で聞こえ、思わず拾い上げたタオルケットを落としてしまった。慌てて顔をあげると、困ったような、悲しんでいるような、そんなお母さんの目と合う。

 いつもの癖で、パッと視線をそらす。

 ――しまった、と思った瞬間、お母さんの手がぼくの頬に触れた。

「良かった。なんともない? 苦しくない? どこか痛いところはない?」

 触れられている頬が温かい。

「……お母さん、ごめんなさい」
「なんで、あんな夜中に出かけたの?」ぼくの謝罪には答えず、お母さんは訊く。
「……コロッケを落としちゃったから。おまじない、しようと思って」
「おまじない?」お母さんが首をひねる。なんのこと? と、今にも言いたそうな顔だ。

「うん、おまじない。流れ星だった星がね、夜の川に落ちてることがあるんだ。それを見つけられたら、幸せになれるんだよ。――お母さんにあげようと思ったんだ」

「私に?」

 本当に驚いたとき、人ってこういう風になるんだ、とぼくは思った。

 目をまんまるにして、まばたきも忘れてじいっとぼくを見つめるお母さんは、信じていいのか、疑っていいのか、どちらともいえない感情と闘っているように見えた。やがて、ふふっと笑い声を漏らして俯いた。声が震えている。

「そっか。じゃあ、テトくんはそのお星さまを見つけてくれたんだね」
「え?」今度はぼくが目をまるくする番だった。顔を上げたお母さんは、肩を震わせながら涙を目にいっぱい溜めていた。

「だって、私いまとっても幸せだもの。テトくんのおかげ」

「……ねえ、またあのコロッケ作ってくれる?」
「もちろん」
「でもグリンピースは嫌いだから入れないでね」ぼくの言葉にお母さんはいたずらっぽい笑みを浮かべて「テトがいい子にしていたら」と囁くように言った。

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