ピノキオとダンス
緊張したその人が道を間違えかけて、腕を引っ張って呼んだ。顔を見上げて一緒に笑った。だけれども、それはあくまでも他人としての距離を保っていたはずなのだ。
だけど、そんな言い訳もする暇は与えてくれなかった。
彼は勝手に千沙に幻滅して、色んなことを想像して膨らませ、怒り、絶望して別れを告げる電話を一本いれたのだった。
そして唐突に切った。待って、の一言も言えずに千沙は立ちすくんでいた。
大好きだったあの人に別れを告げられて、私の両手の指は震えている。それは意思とは全く関係がないようだった。ぶるぶると震えて、いつもは家の中では吸わないタバコを取り出しても落としてしまったほどだった。
だから、戸棚を見上げた。強いお酒を探そうと思ったのだ。
だけど27歳総合商社勤めの独身女の部屋に、気付けの一杯になるような強いお酒など置いてないのだ。それは当たり前といえば当たり前だった。
仕方なく、千沙は冷蔵庫から麦茶を取り出す。そして可愛いコップに注いで一気に飲み干した。この黄色い花が舞い散る柄の可愛いコップは、彼とデートの時に買ったのだった。でもついさっき、それも完全な過去形に変わってしまったけど。
怒ると完全に自分の世界に閉じこもってしまう男の人だった。聞く耳をもたないというやつで、付き合っている間も、正直に言えば、彼のその点が千沙は苦手だった。
今はその怒りが一寸の狂いもなく私に向かっていて、それを解きほぐすには時間が必要だって彼女は判っていた。今はどんな言葉を言っても彼には届かないことも。