ピノキオとダンス
彼女の言葉に彼は遠い目をした。
「・・・10年前に、あれは逝ってしまったよ。嵐の夜に、事故が起きたんだ」
彼女は言葉をなくしてしまう。それから、男友達の手の上に、今度は自分の手を重ねた。
「私もよ。夫は亡くしてしまった。娘が一人いて、まだアメリカにいるけれど、私はこっちに戻ってきたのよ。まだ父の家があったから・・・」
「そうか」
騒がしいパブの中で、二人の小さなテーブルだけが、静かに時間を過ごしていた。
最後にこの店で会ったときは、彼らはまだ20歳になったばかり。そして今はもう、80歳を目前としている。それぞれがゆっくりと、色んなことを話していた。
二人はお互いが知らないところで知らない人生を生きて来たことを、まるで本を読むかのように聞く。そして新鮮な驚きに打たれるのだ。自分達は、こんなにも長く生きて来たのかと。
窓の外に夕焼けが広がりだして、彼女はそれを瞳を細めて眺めた。
「まだ話したりないけど・・・今日は、帰るわね。冷えてきたからあなたも気をつけて」
「君もね」
ゆっくりと彼女は立ち上がって、慎重に毛糸の帽子を被った。それから店の入口に向かう。
胸の中では、知らなかった男友達の今までの人生の話が、行ったり来たりしていた。