ピノキオとダンス
大好きだった、あの人。無関心よりは嫌われるほうがマシかしら。いやいや、まさか。大好きだった、って、私はもう自分で過去形にしているのに。自己防衛だと信じたいのね、千沙は自嘲気味に笑う。とにかく、その人に嫌われて、やけ酒ならぬ自棄麦茶。お腹の中でたぷたぷいうそれが、彼を忘れさせてくれるとは到底思えないままで、千沙はユラユラと揺れていた。
小さな台所で、一人。
ここは、彼が私を抱いたこともある場所なのに。
全くもう。
千沙の視線はふらりと灰色に塗り替えられてしまった部屋の中を彷徨い、木製の手を捉えた。手から腕、それから首と顔に視線をうつし、ああ、と彼女は声を漏らす。
ピノキオ、だわ。乾いてぱりぱりの唇で千沙はそう呟く。
椅子の上には昔、父親が買ってくれた人形があった。それは昔ながらの木製で、人間の節に当たる部分がちゃんと曲がるようになっている、手の込んだ操り人形だった。大きくて、等身大とまではいかなくても十分な大人になった千沙の腰の辺りまでの大きさがあった。
一人暮らしを始めるときに、実家から持ってきたのはこれだけだった。この子は、もう一人の私だ、そう千沙は思っていたのだった。
ほら、プレゼントだよ、そう言って父親が千沙にくれたとき、ちょうど見ていたアニメと同じ名前をつけたのだ。何度も何度も繰り返してみたアニメの木の人形と同じ名前を。
あなたはピノキオよ。嘘をついたって鼻はのびないけど、だけどアタシの大事な子供なのよ、って。その時、まだ千沙は8歳だった。それを聞いた父親は笑ったのだった。じゃあ千沙がゼぺット爺さんなんだね、そう言って。