弓を張る月
茹だる様な暑さの中を、西棟目指して幽鬼の如くユラユラ漂いながら、ようやく辿り着いた秀一郎が研究室のドアを開けて中に入ると、クーラーの効いた室内には、意外にもパソコンに向かう絵梨子一人の姿しかなかった。
「あららら……、絵梨ちゃん一人なの?」
「アタシ一人じゃ、ご不満ですか?」
絵梨子はパソコンの画面に向かったまま秀一郎に返事した。
「いやいやいや、そんなんじゃ無くてね……」
ポリポリと頭を掻きながら、秀一郎は絵梨子の皮肉を持て余し気味に答えた。
「さっきまで何人かいたんだけどね。自分の用事が済んだら、さっさと帰ってっちゃったわよ」
「あ、そうなんだ。入れ違いか……。タイミング良いんだか、悪いんだか……ハハハ」
「ど~せ、他の人が居たって、何も喋べんないで本ばっか読んでんじゃん」
相変わらずパソコンの画面に向かい、キーボードをパタパタさせながら絵梨子は鋭い指摘を秀一郎に浴びせる。これには秀一郎も防戦一方。どうにも秀一郎は絵梨子相手に主導権を握るコトは出来ない様だ。
「まぁ、それもそうなんだけどね……ハハハ。んで、絵梨ちゃんは何やってんの?」
「塚熊教授に頼まれた新しい論文の為の資料整理」
ようやく、パソコンの画面から顔を外すと、絵梨子はこれでもかと云わんばかりに椅子ごと後ろに仰け反り背伸びをした。
「あぁ、イニシェーションのヤツ?」
「イエース」
絵梨子は、引っ繰り返らんばかりに仰け反ったその奇妙な体勢のまま答えると、「あ~~~っ」と溜め息を漏らしながら姿勢を元に戻した。
「教授は?」
ノホホンと質問する秀一郎。しかし、そんな彼を見る絵梨子は呆れてモノが言えないといった表情で目を丸くした。勿論、当の秀一郎は、そんな絵梨子の様子に気付く筈も無く、絵梨子の隣に椅子一つ隔てて座り、テーブルの上に無造作に放り出されている何冊かの『民俗学研究』から適当な一冊を物色してペラペラとページを捲り始めていた。
「塚熊センセ、今週は学会で岩手に行くって言ってたジャン。掲示板にも書いてあったし、それに伴う授業日程の変更も発表されてたでしょうが」
「あららら……、絵梨ちゃん一人なの?」
「アタシ一人じゃ、ご不満ですか?」
絵梨子はパソコンの画面に向かったまま秀一郎に返事した。
「いやいやいや、そんなんじゃ無くてね……」
ポリポリと頭を掻きながら、秀一郎は絵梨子の皮肉を持て余し気味に答えた。
「さっきまで何人かいたんだけどね。自分の用事が済んだら、さっさと帰ってっちゃったわよ」
「あ、そうなんだ。入れ違いか……。タイミング良いんだか、悪いんだか……ハハハ」
「ど~せ、他の人が居たって、何も喋べんないで本ばっか読んでんじゃん」
相変わらずパソコンの画面に向かい、キーボードをパタパタさせながら絵梨子は鋭い指摘を秀一郎に浴びせる。これには秀一郎も防戦一方。どうにも秀一郎は絵梨子相手に主導権を握るコトは出来ない様だ。
「まぁ、それもそうなんだけどね……ハハハ。んで、絵梨ちゃんは何やってんの?」
「塚熊教授に頼まれた新しい論文の為の資料整理」
ようやく、パソコンの画面から顔を外すと、絵梨子はこれでもかと云わんばかりに椅子ごと後ろに仰け反り背伸びをした。
「あぁ、イニシェーションのヤツ?」
「イエース」
絵梨子は、引っ繰り返らんばかりに仰け反ったその奇妙な体勢のまま答えると、「あ~~~っ」と溜め息を漏らしながら姿勢を元に戻した。
「教授は?」
ノホホンと質問する秀一郎。しかし、そんな彼を見る絵梨子は呆れてモノが言えないといった表情で目を丸くした。勿論、当の秀一郎は、そんな絵梨子の様子に気付く筈も無く、絵梨子の隣に椅子一つ隔てて座り、テーブルの上に無造作に放り出されている何冊かの『民俗学研究』から適当な一冊を物色してペラペラとページを捲り始めていた。
「塚熊センセ、今週は学会で岩手に行くって言ってたジャン。掲示板にも書いてあったし、それに伴う授業日程の変更も発表されてたでしょうが」