君がいないと落ち着かない

千尋が忍を追い越し、少し先まで歩いて止まり、振り返って微笑んだ。
「一緒に帰ったら、誰かに見られないかな」
空を見上げながら、忍が呟く。
「その誰かはもうどこにもいなさそうだよ」
「…うん」
顔は上を向いてはいるが、もう忍の意識は夜空の星々から離れ、目の前の千尋に向けられていた。
千尋に返す言葉を、一つ一つ探す。
それに気付いたのか、千尋はその返事に声を出して笑った。
「じゃあ、いいじゃん」
「ムカつく」
少女漫画で見たような、優しくて意地悪っぽい笑顔。
笑うのを堪えるかのように言った言葉。
まるで夢の世界だ。
今見えている榎本千尋の姿は、忍が自分で造り上げた幻想に思えた。
きっと、またすぐ、元の現実の世界へと戻ってしまうんだ。
千尋のいない、またちがう生活に。
本当にムカついてしまう。
こんな妄想劇場に千尋を登場させるなんて。


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