ヒートハート
「せっかくお店を予約してくれたのに」
6時半ですよ、と満面の笑顔で彼女が話すイタリアンは、つい先日、オープンしたばかりのお店だ。
でもそのお店は、オーナーシェフの、有名店からの満を持しての独立とかで、グルメ誌やタウン誌で大々的にとりあげられたお店でもある。
予約なんて、そうやすやすととれるものじゃないだろう。
なのに、予約って。
まさか。
「それって、プロポーズのフラグなんじゃない?」
「だといいけどね。でもつきあって1年だし、まだちょっと早いかなあって思うんだけど」
「つきあう年数なんか、関係ないって」
「そうかなあ」
「そうよ、たぶん」
じゃあ仕事に戻りますね、と口早に告げた彼女は、プロポーズといった私の台詞がまんざらでもなさそうで、タンブラーを手に、軽やかな足どりで戻っていく。
プロポーズ、か。
ひとり残されると、とたんに肺の奥からため息が吐きだされた。
今の彼とは、つきあって4年になる。
前に働いていた会社で派遣社員として働いていた時、同じく派遣社員の彼と知りあったのだ。
私より2年長い先輩で、右も左もわからない私に手とり足とり教えてくれたのが、彼だった。
気兼ねなく話せる気楽な関係が、恋人のそれへと変わるのに、そう時間はかからなかった。
私はその後、改めて転職活動に励み、その甲斐もあって、今の会社に就職できた。
だけど、彼は依然として派遣社員を続けている。
派遣社員だと、時給は割高なぶん、ボーナスはない。
交通費も出ない。
会社に万が一のことが起きた時、真っ先に首を切られるのは、社員じゃない。
手軽な派遣社員だ。
いくらでも代わりのきく派遣社員なら、痛手は最小限に済む。
先行き不透明だからこそ、私は社員への道を目指したのに。
彼はのらりくらりとやりすごすタイプで、だからこそ、現状がどうであれ、関係ないと決めてかかっているんだろう。
窮地に陥らないと、慌てる人ではないから。