『ホットケーキ』シリーズ番外編- 【Tsukinami Happiness -ツキナミ ハピネス-】
Happiness ハピネス

 破いた箱の上のロールケーキを、右と左から食べていく。口の端についたクリームをお互いに「ついてるよ?」「ついてるぞ?」と教えあい、笑って、甘い甘いと眉を潜めて食べていく。ロールケーキが小さくなった時、小さなスプーンがふたつ、カチャと鳴って止まった。長い指の大きな手に隠れるように摘ままれたティースプーンがもう一度カチャリ、ともう一方のスプーンを叩けば、細い指に包まれたティースプーンが答えるようにカチャリともう一方を鳴らす。何かの合図のように、カチャリ、カチャンとスプーンが鳴るたび、小さな残り少ないケーキが崩れて、まるでそのケーキがホロリと綻ぶたび二人の心のどこかも綻びていくようだった。幸せの鐘の音が鳴るように。

 ティースプーンを置いた大きな手が掌を仰向けて誘っている。湖山はティースプーンを置く事ができない。このスプーンを置いてしまったら、自分はきっとあの大きな掌にこの手を乗せてしまうのだろう。そしてこの手があの大きな掌に包まれた時、自分は何を思うのだろうか。
 そんな躊躇いを大沢は察しているのか、それとも、気がつかないふりで、湖山の手からティースプーンを摘み上げるとその手を取って掌に乗せた。反射的に逃げ出そうとした湖山の手を逃がさないように掴んで、大沢は声を出して笑った。その笑い声に救われて湖山は手を握らせたままにしておく。湖山の胸に去来するものは、不安や恐れではない。少なくとも、そういう後ろ暗い気持ちではなくて、優しくて穏やかな温かい想いだった。この手に守られているのだと感じる。この男が自分のアシスタントをしてくれるようになってからずっとそうだったように、この先もきっと、自分を支えて守ってくれる手がここにあるとその手の温もりが教えてくれている。

 「喉渇いた。」
「これだけ食べると甘すぎるよね。」
「何か飲みに行こうよ。」
「うん、そうしよう。」

 少年達の小さな会議のように二人は頷き合って、帰り支度を始めた。クリームの溶けた箱をたたみ、指についたクリームを舐めとる朱色の舌を湖山は、トクトクと打つ自分の鼓動を感じながら見守った。寒くもない暖房の効いた部屋の中で震えそうな指先でダッフルコートのトグルボタンをとめ、コートに埋まるように首を引っ込める。ダッフルコートの中から自分のベッドに潜り込んだときのような安堵感が立ち上った。


 青い光、赤い光、緑の光が交差する街角を肩を並べて歩く。ふと何かに見とれる瞬間に数歩遅れる湖山を大沢は何度も振り返る。彼の広い肩越しに見るクリスマスの街並はなんて優しいのだろう。巨大なクリスマスツリーを飾る青い玉と銀色の玉はまるで、ツリーを駆け上がって空へと帰ろうとするみたいに見える。玉に反射する光は湖山を振り向いた大沢の不揃いな髪に光って透けている。
 大沢に追いついて大きな通りに出たとき、ビルの隙間を走り抜けて来た風がびゅーとその目抜き通りを駆け抜けて行った。湖山はダッフルコートの衿をぎゅっと掴んで硬く目を瞑った。目を開けると、大沢が目の前で紙袋から小さな包を取り出した所だった。緑色の包装紙に金色の小さな星が散らばっている。ペリペリと包装を剥がし中から取り出したのはマフラーだった。濃いグレーにワイン色のラインが不規則に入っている。大沢がマフラーをそうっと湖山の首に掛けてくれた。マフラーを滑らせた手が一瞬頬に触れたとき、大沢の手の冷たさがゾクリと湖山を震えさせた。脇に挟んでいた紙袋と包装紙をふたつに折りながら、大沢は照れくさそうに笑った。
 「なんか…ほんとはどこかでちゃんと渡したかったんだけど…」
 「ムード、たっぷりに?」
 「そうそう、ロマンティックに。」
 ふざけ合うことでしか、甘い事を言えない自分たちは不幸だろうか。それでも、やっとここまで来た。言いたくて言えない一言を隠していても、溢れてしまう想いをオブラートに包むように愛の言葉を紡ぐ。さり気ない言葉で、二人にしか分らない重さで。どこまでも冗談半分にしか聞こえない軽さを残して。

 いつか言えるなら──

 マフラーに顔をうずめてくんくんと鼻を鳴らすと、真新しい毛織物の匂いがする。マフラーの端っこを掴んで、そうっと手を上げると、誘われたように屈んだ大沢の頬に届いた。マフラーを掴んだ湖山の手に自分の手を重ねて、大沢は嬉しそうに笑う。
 「あったけー」
 お互いの息が掛かる程近い距離に、真っ直ぐに見れない目を迷わせて、求め続けてやまない何かを捜している。すぐそこにあるのに、手に届かないもの。手の届く近さにありながら触れることを躊躇い続けているもの。冷え切った手を重ねてこれほどに温かいのは、きっと彷徨う言葉が迸ろうとしている気化熱だ。
 「あったかい。」
 湖山はほぅっと息を吐いて呟く。その声は確かに大沢に届いて、大沢はゆっくりと頭を上げながら湖山を見詰めていた。このまま時が止まったらいい。月並みな言葉で幸せを感じる。二人のクリスマスは始まったばかりだ。



Berry's Cafe【特集26】応募  『Tsukinami Happiness~クリスマス~』終わり

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