猫と宝石トリロジー ②エメラルドの絆
「今日はもう何も考えずに眠るんだ」
目まぐるしい一日だった。
彼がいてくれてよかったんだと思う
この胸にいるのが当たり前のように感じることを、
どう思ったらいいのかを除いたら……
レストランでウェイターをからかったのか、
私たちは付き合っていると思わせたと彼は言った。
本当のところはどういうつもりなんだろう?
そんなことを考えていたら、眉間を彼の親指に撫でられた。
そうされて自分がシワを寄せて難しい顔をしていたんだと気づいた。
「ところで、一花は本名?」
「はい、でも本当は漢字が違うんです」
「ん?」
彼は髪を軽く引っ張って続きを待っている。
一花は迷った。
今の世の中本気で調べたらわからない事はないかもしれないけれど、家を出てこの世界に入る時に変えた名。
『別の人間になると思えばいい』
背中を押してくれたあの人が言ったんだ。
思い出がよみがえって一花の身体が強張った。
「本名は事務所の社長以外は誰も知らないことになってて。多分モデル仲間も事務所の人間もこれが本名だと思っていると思います」
「だから陽人は知ってるが俺には直接言いたくないと?」
あっ、そうか。
何を頑なになろうとしたのかしら?
一花はふっと気を緩めて小さく首を振った。
「本名を教えるのは久しぶりで」
「そうか。光栄に思うべきだな」
「そんな大袈裟な……」
笑って胸を軽く叩くと、見下ろした彼に催促するように頬を撫でられた。
「久遠初花(くどういちか)数字の一ではなくて、
初めての花と書いていちかです」
「はつはなでいちか、か……そちらの方がいいな」
「そうですか?私、夏生まれなのにお正月っぽいって思ってました」
「はははっ」
「蓮さんは?陽人とは繋がりとかないんですか?」
「聞きたいか?」
「ええ」
「長い話になるぞ?」
「是非聞かせて下さい」
「そもそも麻生家は…………」
蓮が話を始めてすぐに一花はうとうとしだした。
胸に耳を当てていたせいで、トクトクと彼の鼓動が眠気を誘う。
「ふふっ、陽人は産まれる時からあの調子だったのね……」
自然に彼の身体に腕を回すと、ぎゅっと強く抱きしめられて、妹さんの話を聞きながら安心に包まれるように一花は瞼を閉じた。
「それを踏まえて庭を散策すると面白いかもな」
「…………」
返事が返ってこないので、蓮は腕の中を見下ろした。
「まったく君のような女性は初めてだ」
規則的な寝息をたてる彼女に甘いため息をついて苦笑いする。
「おやすみ」
蓮がそっと離れて頬に口づけても、一花はすっかり深い眠りに落ちていて気づかなかった。