ウェディング・チャイム
私も『甲賀先生に惚れている』のだ。
私生活はほとんど知らない。学校での仕事ぶりを見て、頼れる人だ、信頼できる人だって勝手に憧れているだけ。
『甲賀新』というひとりの男性として見た場合、憧れより警戒感が勝ってしまう。
だから、学校を離れてもつい『甲賀先生』と呼んでしまうし、甲賀先生と対等な自分が思い描けない。
これでは、先生に恋する生徒と同じではないだろうか。
私は、パートナーですらない。
恋に憧れるだけの中学生のままだ。
もしかしたら、甲賀先生のお母さんも、こんな気持ちのまま結婚したのかも知れない。
『あの甲賀先生に、家事の分担なんて畏れ多い。それなら自分がすべてやってしまって、甲賀先生には全力で仕事に励んでもらおう……』
昔の女性だから、当然そう考えたはず。
私は?
藤田美紅は、これからどうしたいんだろう。
目の前に、運河が見えてきた。時間が遅いせいか、寒さのせいか、人もまばらだ。
「俺も、お袋の気持ちがわかるんだ。働いてる親父に惚れこんだっていう、その意味が」
「え? どういうことですか?」
「親子ってどうしてこんなところまで似るんだろうな」
待って、それって、つまり。
「去年、君が採用されたばかりの頃から、ずっと見てた。『藤田先生』に惚れた俺は『藤田美紅』のことも知りたいと思う。だから、今日は君を連れて帰る」
私、今、もしかしたら、告白されてるの?
寒いはずなのに、体中が沸騰しそう。頭も胴体もみんな心臓になってしまったかのように、鼓動が鳴り響いている。
「嫌なら、今のうちに断るんだ。別々のタクシーで帰って、あとは今まで通り、仲のいい同僚のままでいよう……」
そんなの無理だって、解ってるはずなのに。
甲賀先生はやっぱり優しい。
だから私も、照れくさいので、小さな声で。
「私も『甲賀先生』が好きです」
小さく、息をのむ音がした。それから。
「よく聞こえない……もう一回、言って」
「あの、ここではちょっと恥ずかしいんですけど……」
「了解。誰にも聞かれないところで、たくさん聞かせて」
「私にだけ言わせるなんて、ずるいです」
「大丈夫。俺の方が好きだから」
二人とも、照れてお互いの顔が直視できない。
ものさしひとつ分の身長差は、今の私達にとってちょうどいいパーソナルスペースだと思った。