ウェディング・チャイム
~今よりもっと、好きになる~
初めてお邪魔した甲賀先生の家は、想像よりずっと綺麗だった。
リビングには二人掛けのソファがあり、そこへ座る。
静まり返った部屋で二人きり。しかもさっきの甲賀先生の言葉が何度も頭の中でリピートされている。
『去年、君が採用されたばかりの頃から、ずっと見てた』
『藤田先生に惚れた俺は、藤田美紅のことも知りたいと思う』
『大丈夫、俺の方が好きだから』
……夢、じゃないんだよね。
対面キッチンの方から、コーヒーの香りが漂ってきた。
「お片付け、できるんですね」
「まあね。やる気になればいつだってできるさ。机の上にある書類の壁は、わざとだよ」
「え? どうしてですか?」
コーヒーを運んできてくれた甲賀先生がそれをテーブルに置いて、私の隣に座った。
タクシーの後部座席より、ずっと距離が近い。
「あれがないと、落ち着かないんだ。必要なものは、すぐ取り出せる。触っちゃいけないものは、ガードしてくれる。便利な壁だろ?」
甲賀先生が、コーヒーを一口飲んでから、私に向き直った。
「壁がないとこうなる」
頬に、そっと触れられた。
反対側の手は、頭の上に。
驚いて固まる私に、余裕ありげな微笑みを見せながら聞かれた。
「学年主任が毎日こんなこと考えてたなんて知ったら、どう思う?」
「……四月だったら、学年組むのをやめてます。七月だったら、冗談だと思って流します」
「だよな。それじゃあ、今は?」
「どうして私が……って、びっくりしてます」
「それだけ?」
「えっと、嬉しい、です」
「良かった。じっくり時間をかける作戦が成功したな。長かったけどさ」
頭を撫でられた。
「私のことを気に入ったって言ってくれていたのは、本当だったんですね」
「そう。初任者の君の言葉に、俺は驚いたんだ。ああ、こんな考え方があったんだってね。目から鱗だった」
「何か言いましたっけ?」
「君が算数のTT(チームティーチング)で、俺のクラスに入った最初の日。わからなくてふてくされてた子どもに君がこう言ってたんだ。『わからないってはっきり言ってくれてありがとう。そういう子がいてくれるお蔭で、私は働ける。みんながわからないことを隠して黙っていたら、私は給料泥棒になっちゃう』ってね」
「龍青君、ですね。覚えてます」
「新人は普通、こういう『難しい子』から逃げて、担任に対応してもらおうとする。でも、君は違った。メインティーチャーである俺が授業を進めやすいように、積極的に指導してくれた。逃げずに受け止めた」
「当たり前のことをしただけです」
「その『当たり前』の基準が、君と俺は同じだった。ただ、アプローチの仕方が全然違っている。自分の意見をごり押ししたくなる俺とは逆に、相手の気持ちを受け止める君の手立て。十も年下の君に、やられたって思った」