【短編集】あいとしあわせを祈るうた


今、◯◯コーポレーションビルにいるんだけど。塩見さん、大至急、俺の机にある茶封筒持ってきてくれないか?色見本が入ってるんだ。


午前10時に掛かってきた電話。
聞き覚えのある掠れた声。
和歌山課長からだった。


ストライプのワイシャツが似合うキレ者、背が高い。独身。加賀たちはよく彼のうわさ話をしている。


「助かったよ。先方は午後からコンベンションなんだ。間に合って良かった」


和歌山課長と一緒にビルを出る。
綺麗な受付のお姉さん2人が深々と頭を下げ、私たちを見送ってくれた。

クルクル回る回転扉は苦手。入っていくタイミングが私には少し難しい。

「ホラ」

私の脇からスッと男の手が伸びる。それを合図に私の身体はファンに吸い込まれる空気のように揺らぎ、ガラス扉を抜け、自然に外へと押し出されていた。


「昼時だな。ここで、いいか?」


テラス席のあるイタリアンレストラン。

私は、はい、と頷き、スーツの背を追ってトマトソースとバジルの匂いに満ちた店内へと入るしかない。

すぐに帰社するつもりだったから、お昼を一緒に食べるなんて考えもしなかった。

和歌山課長の強引さに呆れながらも、お腹の底からふつふつと笑いが込み上げてくる。

大人の男。容赦ない。免疫ない。
私は幼い子供のようになるしかない。

和歌山課長はテラス席を選んだ。
好き嫌いあるか?の問いに
いえ、特にないです、と答えたから、私達の前にはお任せのランチコースが置かれることになった。


「仕事、慣れたみたいだね?」

手をテーブルの前で組み、奥二重の目が私の顔を覗き込むようにする。


「はい。慣れました。でも…」

私は口をつぐんだ。
課長に人間関係の愚痴なんて言えるわけない。

「でも?」

和歌山課長がにっこりと笑うと、くるりと後ろを向いた。


「すいません、グラスワイン2つ」

銀の盆を持ったウエイトレスにオーダーした。
ワイン?勤務中なのに?
あっけに取られている私にウインクして言う。

「塩見さん、新入社員歓迎会の時、飲んでたろ?1杯だけ飲まないか?もちろん、皆には内緒だぞ」

このガサガサした声はハスキーボイスっていうんだ。耳に心地よい。

返事をする前にあっと言う間に並べられた、2つの深紅の液体の入ったグラス。


この人となら、プチ秘密共有してもいいな。





【END】


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