【短編集】あいとしあわせを祈るうた
昼休み。
私は外の空気が吸いたくて、社屋の屋上でランチすることにした。滅多に人のこない場所だけど、先客がいた。
黒いスーツにバリッとしたワイシャツ姿の真中さんだ。
この人、1年前に転職して役員専属運転手になった人。運転手なんてもったいないくらい、スラリとしたいい男。物腰も洗練されていてホテルマン、って感じ。
お互いに軽く会釈する。
1つだけしかないベンチに二人で並んで座った。
オフィスビル街の景色を一望出来る。遠くには工業地帯。その先は少しだけ海が水平線のように見える。それぞれガサガサとビニール袋を探り食べ物やお茶を取り出す。
「こんなに素敵な眺めなのに、なんでみんな来ないんだろ?もったいないね!」
「階段を使わないと来れないから、昼休みの時間がもったいないと思うのかもしれませんね」
真中さんが生真面目に答える。
彼はいつもデスマス調なんだ。
真中さんが時々屋上で休憩を取ると知ったのは、情報魔の須藤さんが「真中さんて煙草も吸わないのに行くのよ」って教えてくれたから。
それから私はちょくちょく屋上に行っちゃあ、真中さんがいたらしばし会話をするのが密かな楽しみだった。
「あのね、須藤さんて、若い頃は前社長の愛人だった…という噂だよ。だから婚期を逃しちゃって今も独身なんだって。美人だけど、あの歳になるとやっぱ内面のキツさがにじみ出るんだよねえ」
「そうですか…」
コンビニおにぎり片手に私は口を滑らせてしまったと気付いた。
真中さんが返事に困っていると感じた。横顔の眉が曇っている。
真中さんにとって、須藤さんは上司みたいなもの。イケメンに弱い須藤さんは新入りドライバー真中さんにすごく親切にしている。だから真中さんが須藤さんを悪く思うはずがない。
須藤さんの悪口きかされて困惑しているのかも…
「あの…ごめんな」
「住田さん」
真中さんが私の言葉を遮った。
「今度、酒でも飲みに行きましょう。あ、お酒飲めますか?」
唐突な誘いに私は真中さんの顔をじっと見る。端正なのに人懐こい瞳。
「あ、はい。ビールならジョッキで2杯くらい。真中さんは?」
「僕は…10杯くらいですね」
「え。すごい!酒豪ですね。それだけ飲めたらストレス吹き飛びますね?」
私が叫ぶと真中さんは照れ臭そうにぴょこんと頭を下げた。
「酒場の雰囲気が好きなんですが、あんまり酔わないたちなんで。気付いたらそれくらい飲んでるんですよ。金がもったいないですね…それに僕はストレスないんですよ」
「ストレスない?えっ、嘘?
ストレスない人なんているの!」
私の素っ頓狂な声に真中さんはクスクスと笑いだす。
「僕はないですね。車を運転するのが好きだし、車をいじるのも好きだから。役員の方もまあまあいい人達で恵まれてます。だいたい定時に終わるからスポーツクラブで泳げるし。これで1日の疲れが吹っ飛びます。以前は出張残業ばかりでプライベートほぼなかったから。思い切って転職して良かったなって思えるからストレスないですね」
「ストレスないです、なんて稀有なセリフが言えるなんて…衝撃!ですね…私もそうありたいなあ」
私は感嘆の吐息を漏らした。
これから先、彼の虜になってしまう予感がした。
【END】