50センチとチョコレート




次の日、また私はいつもの電車に揺られて無遅刻で会社に到着した。
隣の席の鳴海は、いつも私より早く来ていて、始業前だというのに、パソコンに向かって仕事をしている。

いつも、そう。



「奈々、おはよう」

眩しいくらいの挨拶にクラクラしない日もない。
私を奈々と呼び捨てにするのも、鳴海と麻美くらいしかいなく、まして男に呼び捨てにされるのは慣れていない。


この5年、毎日繰り返されてきた挨拶。
昨日、麻美に「好きな人いないの?」と聞かれて浮かんで来たからだろう。ーー今日は少しだけ顔が火照る。



今日もまたパソコンの音が響くオフィス。
上司の目を盗んで引き出しを開けると、チョコレートをふた粒取り出す。
鳴海が、私にチョコレートを求めてくるのは目に見えているから。



ーーなのに、今日に限って鳴海は何も言ってこない。
50センチ先に聞こえるくらいの声で鳴海に声をかけた。




「鳴海、チョコレートいらないの?」

差し出した手にチョコレートを乗せて、鳴海の目の前に出すと、鳴海はその手をとって私の胸の前まで押した。



「持ってきてるんだ、ほら」

「あ、麻美の。ポケットチョコレート?」

「そう。美味いよ、これ」


鳴海はそのチョコレートは愛おしそうに撫でて、ポケットにしまった。
食べなきゃ意味ないじゃない。と、思ったけれど、言葉には出さなかった。


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