jack of all trades ~珍奇なS悪魔の住処~【完】
赤面は確実で、更に濃く染まって完熟トマトに変化するところを見られまいと下を向いたとき、タイミング良くアルトの声が響いてきた。
「なるほど、そういうわけか。君は知らないんだね。僕の店を見つける前に、大きなレンガの壁があっただろう? ツタが茂った壁さ」
先ほど目にした、墨汁に濡れた赤ん坊の手を思い出し、一瞬背筋がゾクッとした。
「ありました。それがどうかしたのですか?」
床の木目に気を留めながら、答えを待った。
「尋常な話で面白くないが、まぁ、幽霊が出るとかどうとかで。ただの噂さ。あのツタが不気味なんだろう。君は勇気があるのか?この店を見つけるには、結構あの壁に近付かないといけなかったはずだ。それとも、その涙の跡が主張するように、恐怖もおののくほどの悲しみにふけっていたのかな?」
下を向いて話を聞いていたわたしは、いつの間にか男性が接近していることにようやく気付いた。
「!?」
驚愕で瞳と肩が揺れたのを感じた。
「そんなに驚かなくていいよ。ごめん。急に近付いてびっくりしてるんだろう? 生憎、ここは僕の店だから、床が音を立てない踏み場を知り尽くしているんだ。道を選んで歩かないと、底が抜けてしまっては困るからね」
小さくウインクを飛ばしてきたその男性は、恐ろしいほどに美形であり、更に紳士的な雰囲気を醸し出していた。
見惚れる余裕もなく、すぐに目を逸らそうとしたとき、お茶目な笑顔が早々にフッと消えたのが尻目に見えた。
そのあと、彼の親指がわたしの頬を拭った。

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