雪の足跡《Berry's cafe版》
「母さんショックでね、毎日泣いた」
流産のショックから立ち直ったのは1年以上も過ぎた頃だった。再び母は妊娠する。そして再び医師から安静を言い渡された。母は流産しやすい体質だった。残念ながら二人目の赤ちゃんも流産した。
「もう立ち直れないくらいショックでね」
毎日ふさぎ込む。周りはそんなこともあると励ますけど、もう赤ちゃんを失うのは嫌だ、私が悪いと母は自分を責めた。そんな母に、自分の夢を押し付けることは父にも出来なかった。
そしてある日、妊娠したことに気付く。勿論安静にする。無事安定期に入り、若干規制が緩くなる。そして母は無事、女の子を出産した。
「父さんも凄く喜んだ。あの頃の男親には珍しくオムツも変えてくれた。お風呂も入れてくれたし、日曜日にはベビーカーで散歩もして」
目に入れても痛くない、まさにピッタリの表現だった。そして私が幼稚園に入る頃、家を建てる話が持ち上がる。その時父は40も半ばに差し掛かっていた。これから養育費もかさむ、子供ももう一人欲しい、そんなことを考えて浦和に家を建てた。つまり父は雪山でペンションを経営するという夢を諦めた。
私が4歳になり、初めて雪山に連れていく。勿論母も一緒だった。初めての雪にはしゃぐ私、それを見て目を細める父。せめてユキが一人前に滑れるまではスキー場に通おう、母はそう決めた。
夢を叶えられなかったことで父は母を責めたりはしなかった。でも母は、定年後にもう一度チャンスは来ると読んでいた。退職金が出て、ユキが独り立ちしたら、父を雪山に送り出そうと考えていた。観光客向けのマンションをひと冬借り、好きなだけスキーをさせてあげたい、そう企んでいた。