雪の足跡《Berry's cafe版》
八木橋は慌てる私を面白がるように笑った。
「ねえっ、労働の対価って何よ?」
「何だと思う?」
「ペアルックで元カノに当てつけるとか? 同じ板の私の滑りを引き立て役にするとか? どっちにしても最低!」
八木橋はゲラゲラと笑い出した。豪快な笑いにシートが揺れる。
「女って妄想の生き物だな」
「ひ、否定はしないけど」
「元カノはここにはいないし、アンタを引き立て役にするつもりもない」
「じゃあ何なのよ」
「“俺の滑り”を覚えてくれないか?」
八木橋の滑り方?
「私は……」
「アンタが父親を慕って今の滑り方をしてるのは分かってる。今日一日だけでいい。明日から元に戻していい」
さっきまで腹を抱えて笑ってた癖に急に真顔になった。
「多少厳しいことも言うけどついて来てくれないか?」
普段、ふざけてる人間が真面目になると弱いというか、怖い。ゴーグル越しの鋭い視線。
「……分かった。で、でも今日だけだからねっ」
「ありがとう」
初めて八木橋に礼を言われた。調子が狂う。
リフトを下りて足慣らしに初心者コースを進む。いつもなら、お先にと言うように下りる八木橋が顎で私に先に行けと促す。ストックを押して少し勢いをつけて下る。八木橋はすぐ後ろをついて来てるようだったけど何も言わず黙っていた。時折、後ろでエッジを切る音が聞こえる。そのコースを下り切ると再びリフト乗り場に向かった。ペアルックに回りはニコニコと笑う。でも私は、八木橋が黙ってるのは嵐の前の静けさのような気がして緊張していた。