月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~
そんな私を気遣うように優しく、音人様は続ける。
「他の者には『友人のもとへ行く』と言ってある。案じずとも、そなたを私の事情に巻き込んだりはしない」
「……!」
その言葉に、雷に打たれたように私は顔を上げた。
気付いて、いらしたんだ……!!
私が、三日目の先に待つ意味合いに恐れを感じていたことを、音人様は、ちゃんと気付いていたんだ。
だから音人様は今日、歌のやりとりからでなく、直接ここに来られた。
いくら三日目とはいえ、それを知っている者が言い出さなければ、それはなかったことになる。
つまり、通い婚というものは、そこに通われているということを把握している女の親たちがお膳立てして初めて成るものなので、秘密裏に来ているならばそれは数える対象にはならない。
同じように音人様も、手順をとばしてこちらに来れば、それは『想い人』のもとではなく『友人』を訪ねたことになる。
当然、私が皇家入りすることもない。
「考えれば、初めから歌を送るなどという回りくどいやり方をせずとも、このようにしておけば良かったのだな。友人を訪ねるのに面倒な手順はいらない」
そう言いながら、音人様はゆっくりと、こちらに入ってきた。
……私は、どうしようもなく自分が情けなくなった。
音人様はこんなにも、私の思いを汲んでくれているのに、私ときたら。
一時の自分の甘い感情に流されて、自分を守りたいがために、音人様からの歌を無視して。
いつも、いつも、私は自分を守ろうと、そればかりを考えてしまっている。
初めは、叶わない恋はしたくないと、自分の中に芽生える恋情を否定して。
期待して裏切られるのが怖いから、三日目に歌が届く可能性を否定して。
はなから届かないと決めつけた上で、届かなかった言い訳をしたいがために、わざわざ残って仕事をして。
……挙げ句の果てに、届いていた歌を、自分勝手な判断で無視をして。
音人様はどう感じたのだろう。こんな私を。
どうして呆れずに、こんなに優しくして下さるのだろう。
「……どうして、来てくださったのですか?」
どうにかそれだけ、声を絞り出すと、音人様は優しく微笑まれた。
「……そなたといるのが心地よいからだ」
「……え?」
放られた、思いもよらぬ真っ直ぐな言葉を、つい聞き返してしまった。
「他の女官などとは違う、そなただけなのだ……。私に、ありのままの自分を見せてくれる。そして、私のありのままの自分も引き出してくれるのは」
穏やかに、しかし強い光をたたえた視線に、射抜かれたような気さえした。
「不思議だな……。そなたの側が一番安らぐ」
──……嗚呼、お願いします、音人様。
そんな目で、声で、そんなことを言わないで下さい。
貴方にとって私は、あくまでただの友人なのでしょう。
ならば……そんな事を言わないで。舞い上がってしまうでしょう。自分が貴方にとって特別だと、自惚れてしまうでしょう。
滝のように溢れる感情を持て余しながら、しかし薄暗い環境も幸いして表情には出さないまま、私は「光栄です」と頭を下げた。
「それより、何か話をしてくれぬか。なんでも良い。そなたの声が聞きたい」
「……はい」
私は、柔らかくなるように意識して微笑んだ。
……夜は、長い。
静かに距離をつめる私達を、十五の丸い月が、優しく見下ろしていた。