月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~
* * *
帰宅して、私は自分の部屋にいた。
この上なく痛み続ける頭をおさえながら、ひたすら思考を巡らせる。
──今夜、それだけではなく、これから、どうなるのだろう。私はどうするのが良いのだろう。
私でもはっきりと分かる事は、ただひとつ。今のままの関係を、これからも音人様と築いていくことは出来ないということ、だけ。
私は、また溜め息をついた。
音人様が皇太子に選ばれたことが、心から喜べない自分が悲しかった。
ふさわしいと思う。応援したい気持ちももちろんある。しかし。
(皇太子になってしまわれては……私は、きっと想うことすら赦されなくなる……)
ぐっ、と唇を噛み締める。わずかに痛みが走ったけれど、そんなもの気にならなかった。
皇太子とは、当然、次代の帝。全ての権力の中心に座るという、未来が確定された人だ。
今のように会うことも赦されはしないし、きっとお妃様や側室が出来れば、私のもとへなど通わなくなる。
そうすれば、私には何も、どうすることも出来ないのだ。
(私は、いつか捨てられる……)
近い未来の事実に、身体が震えた。
音人様の優しさを、私の中にある想いに気付いてしまった以上、それがなくなるというのは耐え難いものであった。
気が付いたら、薄く開いた障子の隙間から覗く空には月が出ていた。
日に日に細くなっていく、欠け半ばの下弦の月。
(出逢ったときは上弦の月が浮かんでいた……)
月を見上げて、思い出す、あの小部屋での出逢い。
あのときに、引き留めなどしなければ。
次の日、御前で書類を散らさなければ。
今、こんなに苦しい思いはしていないはず。
(なのに……)
苦しいはずなのに、出逢わなければ良かったと、恋をしなければ良かったと、思えない自分がいる。
(どんな顔をして、会えば良いのだろう……)
不意に、あの方が来ることに、恐怖を感じた。
今、こんな状況で会ってしまえば、確実にこちらの想いが知られてしまう。
会いたくない。来てほしくない。このまま時が止まってしまえば良い。
そう思いながら、ぼやけた視界で青白い月を見上げた。
その時、不意に違和感を感じる。
いつもなら──昨日までは、こんなに月が高く昇る前に、あの方はいらっしゃっていたはず。
なのに。
(遅い……?)
恐る恐る、障子を開けて、外を覗いてみた。
……やはりそこには、焦がれる人の姿はなくて。
(なんだ……)
冷たい風を顔に感じた途端、自分の中から、何かが抜け落ちていく感覚がした。
私はへなへなとその場に腰をおろす。
自然と、自嘲的な笑みが浮かんだ。
(私の意思など関係なく……音人様は、来ないのね……)
考えてみれば、おかしいことなど何一つない。立太子を控えた彼が、私のもとへ来る時間などあるはずはない。
──否、私ではないひとのもとへ、通っているのかもしれない。
妃候補や、側室候補。
“友人”としての立場ではなく、“一人の男”として。
その穏やかな声で、愛を囁いているのかもしれない。
「……っ……」
喉の奥から、情けない嗚咽が漏れた。
爪が食い込むほどに強く拳を握り込んでも、唇を噛み締めても。
後から後から溢れ出てくる涙を、おさえることは出来なかった。
どのくらいそうしていたのか。
次に目を覚ましたのは、空も白み始めてきた頃。
私はどうやら泣いているうちに眠ってしまったらしい。
泣き腫らした目とずきずきする頭を抱えながら悟ったのは、
──やはり、音人様はいらしていないということだった。