月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~
* * *
朝を告げる鶏の鳴き声に、私は目を覚ました。
どうしたことでしょう、背中が痛む……。
壁に寄りかかって窮屈な姿勢で寝ていたことに違和感を覚え、数瞬後に昨晩の出来事を思い出した。
私ったら、あのまま寝てしまって、あの方に無礼だったかしら……と思ったところで、慌てて小部屋を見回す。
けれど、私の他に人影はない。あの方は、どこにもいなかった。
……夢でも見ていたのかしら?
そんなことすら思いつつ、記憶を手繰りよせて、彼が昨晩いた場所に視線を送る。
……これは?
ふと目に入って取り上げたのは、その場所に落ちていた小さな細長い紙。
見てみると、流れるような字で「昨晩は助かった」という文字。
これは、あの方が残したもの……?
思わず胸に抱くと、ほのかに品のいい香の匂いが広がった。昨晩のことが夢ではなかったことが、わけもなく嬉しい。
それからはっと我に返り、少しほつれた髪を整えて、仕事のため準備を始めた。
(不思議な方でした……。とても落ち着いてらして、どこか懐かしいような……)
そう思いつつ、そんな感想が浮かぶ自分に首を傾げる。
(懐かしい……?私ったら何を言っているのかしら。初めて会ったはずなのに)
自分自身に首を傾げてしまうけれど、やはりあの雰囲気には、覚えがあるような気がして。
(どうかしているわ……きっと高貴なお方だもの。会っているはずがないのに)
勘違いだと自分に言い聞かせて、私は準備を終え、ゆっくりと朝餉の行われる間へと足を受けた。
「藤侍従(とうじじゅう)」
朝餉(あさげ)を済まし、橘左少史と共に仕事場に入るとすぐ、私のここでの名前が呼ばれた。
声のした方に目を向けると、そこにいたのは私の上司にあたる、蔵司の次官、典蔵(くらのすけ)の一人である和泉納言(いずみなごん)だった。
「何でしょう」
その声に棘を感じるも、昨日言いつけられた仕事は全て片付けていたし理由が見つからなかったので、戸惑いつつ私はそう返した。
「お前、昨日の書は提出したの?」
「提出……ですか?」
私と橘左少史は、顔を見合わせてそう聞き返す。
確か、昨日私たちに指示をしたもう一人の典蔵には、この書を整理しておくようにとだけ言われたはずで提出は聞いていないはず。
「まだなの?何てこと……!……藤侍従、お前が責任をもって、一刻もはやく内侍司(ないしのつかさ)まで提出して来なさい」
……が、それを言う隙も与えられず、和泉納言はそう言い切って、立ち去ってしまった。
「……もしかして、提出しておかないといけなかったのかしら?」
橘左少史が、眉尻を下げて不安そうに言う。
「そうかもしれない……私、急いで行ってくる」
和泉納言の少し焦りと苛立ちが混ざった口調を思い出し、私は手早く書をまとめた。
橘左少史の分のそれも受け取り、彼女の不安そうな視線に見送られて廊下に出た。