ある日のできごと

「よし」

彼はそう言ったような気がする。

挨拶と謝罪もそこそこに、男性は私から離れて行き、それと入れ違いに目の前の交番からおまわりさんがぞろぞろと出て来た。

結構な時間をそこで立っていたような気がしたけれど、時計はまだ3分も進んでいなかった。
交番が目の前にあるというのに怪しい人からキャッチをされるだなんて…。

珍しいこともあるものだと思いながら、私は駅の構内へは入らずに、いつもと違う道を選んで予備校へと行った。

2限目の講義には何とか間に合ったけれど、席はすでに埋まってしまっていて、最前列の中央という最低物件しか残っていなかった。

居眠りもできない。
けれど、授業を聞くような集中力も沸かず、私は先刻のことをボーッと思い出していた。

おかしな点がいくつもあったような気がしたのだ。
何処がおかしいかなんて分からなかったけれど、まるで魔法に包まれていたかのような不思議な感覚があった。

私と彼だけ、別の時間を過ごしていたような気がする。
けれど確かに、私たちの周りはいつも通りの時間が流れていたのだ。

通り過ぎて行った沢山の美女たちと、タイミングよく出てきたおまわりさんたち。
そして、私としか視線を合わせなかった男性。

それはつい先ほどの5時20分の話だというのに、すでに記憶は薄れかけ、男性の顔すら思い出せなくなりつつあった。

慌てて書き留めたメモは、「5時20分、駅表、交番前」という端的なもの。
眠気がやって来た頃に、マナーモードにしておいたケータイがブブブと鳴った。

< 4 / 7 >

この作品をシェア

pagetop