揺れて恋は美しく
すっかり暗くなった夜道を並んで歩く桐島と美沙。二人はオヤジン寮に着き、寮の前で立ち止まる。

「ありがと」

「うん」

「今日は、凄く楽しかった」

「俺も。あんなに笑ったの、久しぶりかもしれない」

「レイコさん達のお陰だね?」

「ああ。いい人達だよなぁ」

桐島は寮を見上げて、思い出に浸るように言う。そんな桐島に、美沙が不安げに尋ねる。

「桐島君は」

「ん?」

「私がお店で働くのって、やっぱり嫌かな?」

「うーん…。正直、嫌かな」

「そう、だよね?」

「でも、理由聞いちゃったしな」

「えっ?」

「両親を亡くした君を引き取って、育ててくれたんだろ? ここのママさんが」

「うん。唯一の身内だったから」

「で、マコは、その恩返しの為に手伝ってるんだろ?」

「ふふ。うん」

「じゃあ、いいんじゃないかな。週末だけだし」

「ほんと?」

「ああ」

嬉しそうに笑顔を溢す美沙に、桐島も微笑む。
クラブオヤジンではレイコやルカやママ達が、いつものように笑い合い場を盛り上げ、馴染みの客を楽しませ気持ちよく酔わせる。
寮の前で佇む美沙は、ママ達に対する思いの丈を語る。

「ママは、最初は私を引き取るつもりなんてなかったんだって。でもね、私がママの袖を掴んで離さなかったの。それが、ママにとっては何だか嬉しかったんだって」

「うん。何となく分かる」

「それでもママは、反対だったの。自分の立場や環境が、私を不幸にするんじゃないかって」

「そうかぁ」

「だけどママは私を引き取ってくれた。引き取るからには、必ず私を幸せにするって、強く抱き締めてくれたの」

「家族に、なれた訳だ?」

「うん!」

「でも、決め手は何だったの? ママさんの気持ちを変えた決め手は」

「それは…」

クラブオヤジンにて、忙しく働くママは不意に動きを止め、少し荒れた手を見詰め物思いに更けていた。

「どうしたのママ?」

「レイコちゃん。ちょっとね、昔を思い出しちゃって」

「美沙の事?」

「うん。あの子と初めて会った時、あの子凄く寂しそうな目をしてた。でも私は育てる自信が無くて、一度断っちゃったのよね」

「それは仕方ないわよ」

「そうよね? でも次に会った時あの子、一人で私の所に来て、私の荒れた汚い手を握って、私が働くから! て。十歳の子がよ?」

「美沙もそれだけ必死だったのよ」

「そう。そうなのよ。あの子にとって私は、最後の頼みの綱だったのよねぇ。そう思ったらもう、美沙を抱き締めてた」

「苦しかったでしょうね?」

「そうね。て、どういう意味?」

「そういう意味よ」

「レイコちゃん!」

「ふふふ。ママには辛気臭い顔なんて似合わないんだから。笑ってさ、皆を楽しませなくちゃ」

「そうよね。笑顔が一番!」

「うん!」

「ねぇレイコちゃん」

「なに?」

「私は美沙を、ちゃんと育てられたのかなぁ?」

「何言ってんの? 今の美沙を見れば分かるでしょ?」

「えっ?」

「ママは立派に育てたよ。他の誰よりも立派に」

「レイコちゃん…」

「ほら、お客さん待ってるよ」

「ええ。頑張んなくっちゃね!」

オヤジン寮を眺めて微笑んでいる美沙。桐島は何も言わず側で、優しく美沙を見守る。

「あっ、ごめんね? こんな所で」

「いいよ。マコの事が少し分かって良かった」

「そう?」

「ああ。また、話し聞かせてよ? 俺の事も話すから」

「うん。いいよ」

「…うん。じゃあ、そろそろ」

「うん。送ってくれてありがと」

「ああ」

「バイバイ」

桐島は美沙の言葉に手を振って応え、帰路に着いた。
< 27 / 45 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop