極上の他人


「ここから早く逃げたい」

「ああ、帰ろう。これ以上、悩まなくていいことで史郁が苦しむ必要はないんだ」

輝さんは、かすかに震えを感じる声でつぶやくと、自分の感情を抑えるように大きく息を吐き出した。

そして、怒りを隠すことのない声を目の前の母さんに向けた。

「あなたが史郁に謝りたいと言った言葉を心から信用したわけじゃなかったんだ。だけど、真奈香ちゃんからも頼まれたからこうして史郁をここに連れてきたんだ。
史郁の苦しみを大きくさせるとわかっていたら、絶対に連れてこなかった」

「あ……ごめんなさい。私が輝先生に頼んだから、史郁さんは……」

輝さんの胸に抱かれ、顔をそこにうずめていると、周囲のやり取りがダイレクトに響く。

真奈香ちゃんの神経質な声からは、謝罪の気持ちが溢れているとわかる。

輝さんは、体全体で怒っている。

「塾で真奈香ちゃんが俺に近づいてきたのは、俺が誠吾先輩と親しいからだとわかってもここまで腹は立たなかった。俺につきまとう真奈香ちゃんとの関係が塾で問題になって辞めた時も、すぐに気持ちは切り替えられたんだ。だけどな、ここにきてまで史郁を傷つけるようなあなたたちの自己満足にこれ以上付き合うつもりはない」

「輝先生……ごめんなさい。でも、私は、史郁さんに申し訳なくて、だからお母さんにも謝ってほしくて」

「それが自己満足っていうんだよ。自分たちの幸せのために、これ以上史郁を傷つけるな」

輝さんと真奈香ちゃんの会話に、私ははっと顔を上げて振り返った。


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