夕凪に映える月



私は自転車を少し止めて両手で大きく丸を作るとケラケラと笑いながら、ぺダルを勢いよく漕ぎ出した。



今日は目が覚めてくれるだろうか。

眠り姫ならぬ、眠りあっちゃんは目が覚めてくれるかな。

今日は⋯⋯おとぎ話さながらにキスとかしてみようかな。

そしたら王子様は目が覚めるのかもしれない。


そんなことを思いながら、私はシャコシャコと自転車を漕ぎ始める。



あの日。
お医者様が言った山を越えることが出来て一命を取り止めた、あっちゃん。


だけど……あっちゃんは眠ったまま、目を覚まさない。

植物状態ではないんだけれど⋯⋯原因不明だけど眠り姫のように眠ったまま目覚めない、あっちゃん。


そんなあっちゃんのお見舞いに、私は毎日一日も欠かすことなく、通っている。


信じてるから。
必ずあっちゃんは、目覚めてくれて、この海をもう一度2人で見る日が来ると信じているから、私は毎日この道を通ってるんだ。



海辺からあっちゃんのいる病院までは、小さな山を一つ越えなきゃたどり着かない。



いつも二人で帰った帰り道。
あの夏の日に二人で見た夕凪の海。
あの海を見た丘の上に差し掛かった時、私は一度だけ立ち止まり、ヨットの浮かぶ海を振り返る。



そこにはあの時と変わらない
何度も見た光景と変わらない、優しい海の姿があった。



青い海。
青い風。
煌めく波間に、輝く太陽。


波間を漂うカモメたちに
ぐるりと広がる渚。
そしてその奥には小さな灯台が見える。



「もう一度だけ。
もう一度だけ、あっちゃんと来たいなぁ⋯⋯。」



カレが好きだと言ったこの景色。
カレが好きだと言った、この海を見ながら、私はやっぱりそう思う。



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