三十路で初恋、仕切り直します。

法資はあくまで「ただの手抜き料理」で「褒めてもらえるものじゃない」と言う。



だが泰菜の父親など、『男子厨房に入るべからず』を自分が料理をしない恰好の言い訳にして包丁を握ることすら嫌がり、乾麺をゆでることすらせず、食事を用意してくれたとしてもいつも買ってきた惣菜を食卓に並べるだけだった。


それを思えば包丁を使って豆腐やきゅうりを刻み、たったひと手間でもふた手間でもかけたものを出してもらえたことはすごくうれしいことだった。なにより普段料理をしないという法資がわざわざ作ってくれたのかと思うと、その気持ちだけでも胸にぐっとくるものがある。


「ほんと感謝してるよ?仕事から帰ったらもうごはんが用意してもらえてて、それを誰かと一緒に食べられるのって、すごいしあわせ」


その「誰か」が自分が好きな人ならばなおのことうれしい。

法資はすこし気を取り直したように「明日はもうすこしまともなもん用意してやるよ」と言う。


「うれしいけど、無理しないでね。法資だって折角のお休みなんだし」
「いいんだよ、おまえにこういうことしてやれるのも、今だけかもしれないし……あ」


何かを思い出したように声をあげる法資に、箸を止めて「どうしたの」と訊く。


「しまった。おまえに『先に風呂にするか飯にするか』ってやつ、言うの忘れた」
「……は?なにそれ」

「何って、ドラマとか漫画の王道だろ」


法資はしれっと言ってくる。


『先にお風呂にしますか、ご飯にしますか?それとも……』というのが、いまだに新婚さんのネタとして使われる、かなり古典的な台詞だということくらい言われなくてもわかっている。

ただ法資でもこんなくだらない冗談とか言ったりするんだな、ということがちょっと信じられなくて驚いていたのだ。


だいだい冗談にしても、普通は女子の方が言う台詞だ。

王道な台詞だけに「惚れた女に言われてみたい」と職場の独身のおじさんたちが盛り上がっていたのを聞いたことがあるが、泰菜に言わせようとするわけでなく、男の法資が自分で言ってしまってどうするんだとつっこみたくなる。


「もう。なに馬鹿なこと言ってるのよ」


冷ややかな泰菜の視線を受けて法資が笑った。


「まあ確かに馬鹿だな」
「馬鹿だしくだらないよ」

「けど、折角の機会だし、人生で一度くらいそういう馬鹿っぽいこと言ってみようかと思ったんだよ。けどバタバタしてると忘れるな。旦那の帰宅に合わせて準備して、風呂と飯どっちって聞ける世の中の嫁さんたちは偉大なんだな。俺にはそんな余裕なかった」


しみじみ言う法資がおかしくて、吹き出してしまう。



---------わたしがしてあげたい。



笑いながらふとそんな思いが胸に浮かぶ。





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