三十路で初恋、仕切り直します。
「みんなでレストランの個室貸切にして、おいしいもの食べながら『結婚おめでとう』ってお祝いする女子会的なものよ」
「へぇ。じゃあそこに行く独身女のお前の惨め感は半端ねぇな」
「--------うるさいなぁ、そんなことありませんよ」
口ではそう言いつつも。
最初の一人目二人目を祝うときとは微妙に違う心情があるのは否定出来ない。20代の頃は羨ましさを感じつつも、素直に友だちの結婚が決まったことがうれしかったし、この会を口実に日頃なかなか会えないでいる仲間と再会出来るのも楽しかった。
でももう三十の大台になると、他人の幸せに浮かれてばかりはいられない。
「……でもたしかに、周りから見たら人様の結婚を祝いまくる三十路の独女って痛いのかもね。わたしも既婚者の子に気を使われてるなぁって感じるときはちょっとしんどいしな」
結婚を「それほど焦ってない」と言ってしまうと強がりみたいに聞こえてしまうし、かといって多少のお世辞も含めて既婚者を羨ましがると「泰菜にもそのうちいい人出来るから大丈夫だよ」と根拠のない微妙な慰めを受ける。
訊かれたから仕事の話をすれば、男社会での苦労を「男と対等に渡り合うなんてかっこいい」、休日返上の忙しさを「多忙な一流企業のOL様」とへんに持ち上げられてしまう。
面倒くさい。そう、正直面倒くさい。
「じゃあなんでそこまでして付き合うんだよ」
「しょうがないのよ。女子ってそんなものなの。めんどくさくっても気まずくても、友達の結婚だの出産だのの話は三十オンナにとっては避けては通れぬ通過儀礼みたいなもんだし」
本当に煩わしいだけならわざわざ新幹線に乗ってまでこうして帰ってきたりはしない。
お互いに境遇や立場が変わったことで気を遣わなければならない話題が多くなったことを煩わしく思うこともあるけれど、会えば学生のときのように話は盛り上がるし、素直に会えてよかった、たのしいとも思える。それに他のみんなが集まって付き合いを続ける中、自分だけ離脱するのはさびしくもあった。
そのうえで、明日みんなと会うことにひとつだけ懸念があるとするなら。
「……今彼氏いないのがわたしだけってのは痛いかな」