三十路で初恋、仕切り直します。
16 --- おかえりなさいを言うその日まで (完)
「英人くん、かわいいね」
携帯の画面を眺めながらいうと、隣に座る法資が笑う。
「おまえな、それ何回目だよ」
画面に映っているのは水色のベビードレスを着た赤ん坊。生まれたばかりの法資の甥っ子だ。つい先程会ってきたばかりだというのに、ついつい何度も見てしまう。
「そんなかわいいか?この前俺が見せた写真と大差ないだろ」
そういいながら法資も泰菜の手元を覗き込むと目を細める。
今日はいよいよ法資がシンガポールに戻る日。
まだ薄暗い早朝に静岡の家を出た泰菜と法資は、『イルメラ』に乗って二人の地元である桜井町に来ていた。
日本を離れる法資がまたこの車を兄の英達に預けるためであったが、電話で連絡をすると生憎英達は出掛ける用事があるからと言い、「店で待ってて」と言われた。
昼食時も過ぎた頃に到着し、店の駐車場にイルメラを停めて『桃庵』に入ると、開店前のそこには思わぬ客人がいた。
泰菜の父親の秀作だ。
秀作の座るカウンター席の傍らには何冊か釣り雑誌が置かれていた。どうやら仕込みをする法資の父を相手に、共通の趣味である釣り談義をしにきたようだ。
それとなく両方の親へきちんと挨拶するのは次の休みに法資が帰国したときにしようなどと話していたので、思わぬ顔合わせになってしまったことに泰菜はひどく動揺してしまった。
「なんだ泰菜、こっちへ来てたのか。……それに法資くんか?」
入店してきた自分たちをじっと見詰める父親を前に何も言えずにいると、法資が一歩前へ進み出て「お久し振りです」と言い、秀作に向かって深々と頭を下げた。
「随分久し振りだな、どうした?」
「突然のことですみません。自分は今、泰菜さんと結婚を前提にお付き合いさせてもらっています」
落ち着き払った法資の口から出てきた「結婚」という言葉。
-------本当にこのひと、本気だったんだ。
自分の父親に誠実な態度で挨拶する法資の姿に意表を突かれた。本当ならうっとりするような法資の真摯な言葉と姿勢を耳にも記憶にも焼き付けてしまいたいのに、状況が状況だけに暢気に陶酔などしていられなかった。
「あ、あのお父さん、それにおじさんもごめんなさい。いくらなんでもこんな話、急にされたらびっくりしちゃいますよね」
焦ったように言葉を掛けると、泰菜の父と法資の父が互いに顔を見合わせる。
「……びっくりは、しないかな」
泰菜の父が本当にさほど驚いた顔もせずに漏らすと、法資の父親が頷いた。