三十路で初恋、仕切り直します。
『ごめん。忙しいの分かってるし、困らせるつもりじゃなかったの』
「……困るのは俺じゃなくておまえの方だよ」
意味を捉えかねてか、泰菜は顔に疑問符を浮かべる。
『わたし?別にシンガポール行って帰るくらいなら、困ることなんて何も』
「おまえ本当に帰ってこられると思ってるのか?……こっちに来られたらもう日本に帰せなくなるに決まってんだろ。だから迎え行くまでこっちに来るなって言ってんだよ」
聞こえてくる言葉に理解が追いつかないとでもいうように、泰菜はいぶかしげな顔をする。だから噛んで含めるように語り掛けていた。
「成田で別れ際、おまえは俺からかってげらげら笑ってたけどな。こっちはそんな余裕なんてねぇし、おまえと離れてどんだけしんどい思いしてたと思ってんだよ」
戸惑うように揺れる泰菜の目を見て、もう一押し。
「それこそあんなの何度も味わうくらいなら、いっそしばらく会わないでいる方がマシだって思うくらいだ。言ってる意味、分かるか?」
固まっていた泰菜が、ようやくこくこく首振り人形みたいに頷く。
「だからな。そんなに俺に会いたいなら、腹括ってさっさと仕事辞めて嫁に来い」
一度ならず二度も同じ女にプロポーズしている自分を、冷ややかな目をして見詰めている自分がいる。そいつは黙っていれば知られずに済む心情を、わざわざ自分の口から晒すなんて恰好の悪い、それこそ敗者の振る舞いだと言って詰ってくる。完全に自分のものにするためとはいえ、必死すぎやしないかとあざ笑っている。
それでも。
『あ……うん。……でも、えっとまだ付き合ってから実際に会ったのは6日間だけなんだし、ほんとうにわたしでいいのか、法資はもうちょっと吟味してみたほうがいいと思うよ……?』
わたしはうれしいけどさ、と蚊の鳴くような声で言って恥ずかしそうに目を伏せる泰菜を見て、ひどく甘ったるい気分になってくる。
--------負けていることがひどく心地いいこともあるのだ。