三十路で初恋、仕切り直します。
「ごめんね、法資」
自分の後ろをついてくる泰菜から、かすかな香りが漂ってくる。湯上りのシャンプーの匂いだ。心安らぐはずのそのやさしい匂いに、なぜかざわざわと胸が波立ってくる。そんなことも知らずに泰菜は隣に並んで話しかけてくる。
「お邪魔しててごめん。今日うちのお父さん遅くなるみたいで、おじさんが英にいちゃんもいるし夕飯食べにおいでって声掛けてくれたの。その……ごめんね」
『ごめん』『ごめん』『ごめん』
最近泰菜は自分と話をするときはそればかり言う。いちいち謝罪の言葉を挟まないと自分と口も利けないのか。だいたいこの機嫌を伺うような、遠慮がちな口の利き方。本当に神経に障る。
「……法資遅かったね。……どこ行ってたの?」
興味なんてないくせに。沈黙が気まずくて出された、あきらかに場つなぎのための会話に付き合ってやる気はなかった。このまま無視してやろうと思いつつ、でも何を言っても言わなくても泰菜がこちらの顔見て気まずそうにするなら、もっと気まずくなってしまえと「ラブホ」と言い捨てる。
「……そっか。………あまり遅くなるとおじさんたち、心配するよ?」
泰菜は一瞬言葉を詰まらせた後、ぎこちなく話を受け流した。どうせ内心汚らしいとか思っているくせに。
-----------そうやって無関心な反応をしてくるなら、何でわざわざ俺に話を振ってきたりするんだ。
泰菜と話していると、ぶつける先のない苛立ちがどんどん自分の中に蓄積していく。行き場のないその感情が内側からガリガリと爪を立てて、ますますその不快さに苛立ってくる。
「あ、そうだ」
こんなに人を苛立たせているというのに、泰菜はなんの罪もない顔をして自分を見てくる。
「うち今、お母さんが送ってくれたみかんがたくさんあるから、少しおじさんたちに持っていってくれる?」
ちょっと待っててといって鍵を開けて、泰菜が急いで家に上がりこもうとする。早くもう片方の靴を脱ごうと慌てすぎて、一段高い框の上で自分に背を向けたまま尻を突き出すように前屈みになる。
もともと色白な泰菜の、ますます白い膝裏が思いがけず目前に晒される。
自分の思考がその白色に吸い取られた。