三十路で初恋、仕切り直します。
「嘘吐き?」
「そうよあんな奴。……何が『しがない居酒屋の跡継ぎ』よ……」
-------本当はトミタの海外事業部で働いていたクセに。
『居酒屋のカミさんにでもなるか』だなんて、あんな思わせぶりな言葉にちょっといい気分になっていた自分がたまらなく恥ずかしかった。
酔っていたとはいえただの冗談に食いついてきた自分のことを内心苦笑いしていたんだろうかと思うとやるせない。
怒りや屈辱感よりも、また法資に馬鹿にされたのかと思うとむなしさでいっぱいになってくる。
『うわ、桃木の奴マジでやりやがった』
高校時代の、黒歴史として無理やり記憶の底に沈めていた出来事が唐突に脳裏を過ぎる。
『おいおい、いくらなんでもひどくねぇ?おでこちゃん可哀想だろ』
悪乗りしていたくせに、いざとなると法資ひとりだけを悪者みたいに言い募る友人たちに、法資はただ一言冷淡に言った。
『言ったろ?俺は眼中にないんだよ、こんな女』
あのときは涙も出なかったのに、今になって目頭がじんじん熱くなってくる。それに気付いた弥生が、はっと息を飲む。
「……泰菜……」
「ごめんね、弥生ちゃん。なんかわたし、全然たいしたことじゃないくせに、失恋してからどうも情緒がいかれちゃってるみたいで」
しばらく泰菜になんと言葉を掛けていいのか迷っている様子だった弥生は、泰菜が落ち着いたころにふと口にした。
「ねぇ泰菜、泰菜には秘密にしていたんだけど」
アプリコットと白桃の小瓶を手に取って見比べながら、さり気ない雰囲気で弥生が口を開いた。
「もう時効だと思うから話しちゃうね。高校のとき私と杏奈、桃木くんに告白したことがあるんだ」
思わぬ打ち明け話に、食い入るように弥生の顔を見てしまう。
「そんなに驚くこと?桃木くんって学年問わず、普通科特進科問わずモテてたじゃない」
「でも弥生ちゃんが法資を……?」
面食いの杏奈が、常に学年首位で運動神経もよかった法資にきゃーきゃー騒いでいたのは覚えているけれど、物静かで読書が好きだった弥生はそういうものには全然興味なさそうに見えていた。
「うん。でもまあ私の場合ははっきり恋愛感情だったとは言いにくいかな?どちらかというとファンみたいな感覚だったかも」
「ファン?でも告白したんでしょ?」
泰菜の顔をみて、弥生は「ふふ」とやさしく笑う。
「もう昔の話だし、私これでももう人妻よ?心配しないで?」
「べつにわたしは……」
ただの幼馴染の分際で自分が心配もなにも出来る身分ではないはずなのに。そんなに自分は彼女面しているように見えるんだろうかと恥ずかしくなる。
「……泰菜ってかわいいなぁ」
俯く泰菜のおでこを、弥生がつんつんしてきた。昨夜法資にされたときのことを思い出して思わず渋い顔になる泰菜に、弥生は苦笑する。
「ごめんごめん、泰菜も泰菜のおでこも、なんかかわいいからつい」