三十路で初恋、仕切り直します。
「お疲れ様、桃木くん。どうやって撒いてきたの?」
「“エリカ様”のことか?仕事先から電話掛かってきたって言って逃げてきた」
「ご愁傷さまです」
「知ってて放っておくんだから、泰菜も弥生さんもひでぇよな」
「文句があるならそこのお姫さまにどうぞ?ちなみにわたし今は李っていいます。李弥生ね」
「ああ、泰菜が言ってた台湾に嫁いだっていう?」
弥生と法資が和やかに会話を交わす中、泰菜は意地でも自分から声を掛けるものかと背を向けて、焼き菓子のコーナーを物色していた。
ちょっと人見知りなところがある泰菜と違って、子供の頃から社交的な法資は異性相手でもすぐに打ち解けて喋ることが出来る。弥生は法資ではなく泰菜の友達なのに、まるで旧知の仲であるかのようにふたりは笑いあっていた。
もし昨日法資が会ったのが自分以外の誰かでも、同じことが起きていたのかもしれない。そんな思いが胸を過ぎる。
「じゃあ李さんのおみやはこれな」
いつの間にか法資がベリーのコンフィチュールの入った紙袋を弥生に渡していた。
「わあありがとう、桃木くん」
「……ちょっと、なんで法資が買ってあげてるの。弥生ちゃんにはわたしから贈るはずだったのに」
近寄って抗議すると、法資は泰菜が手に持っていたクッキーの袋を取り上げて、
「会計してくるから待ってろ」
そういってレジに向かう。その道すがら、目に付いたらしい小瓶を持っていた籠の中にふたつ放り込んだ。
「桃木くん、それ泰菜に買ってあげるの?だったら何が欲しいか訊いてあげれば?」
「いいんだよ。こいつに選ばせておくと優柔不断でいつになっても決められないから。それにわざわざ訊かなくたって、こいつが好きそうなのはだいたい分かるし。季節限定とか数量限定のもんとかさ、あとは甘ったるいチョコレート味」
法資から手渡された紙袋の中には、焼き菓子と小瓶がふたつ入っていた。だいたい分かると豪語するだけあって、それは二つとも泰菜が目を付けていた、アップルシナモンのコンフィチュールとココアのスプレッドだった。
「わたし。……法資のこういう卒のなさがときどきほんとに無神経で嫌い」
「は?どういう意味だよそれ」
なんの後ろめたさも感じていない顔に恨みがましい気持ちが募ってくる。
「あ!いたいた桃木くーん」
気分が落ちていく泰菜を他所に、語尾にハートマークを散らしながらエリカが階段を下りてきた。
「もおっ、桃木くん戻って来ないからどこ行ったのかと思ったじゃない」
「いや、これ以上邪魔するのも悪いかと思って」
「それで黙って帰ろうとするなんてひどーい。ねぇねぇ、桃木くんは日本(こっち)にいる間、ずっと実家で寝泊りしてるの?」
法資がああ、と相槌を打つとエリカは「ご実家って居酒屋さんなんだよね?今日は何時から営業してるの?」と肉食系の本領発揮とばかりに泰菜の目の前で法資からあれこれ聞き出そうとする。
「17時から。けどウチはエリカ様みたいな美女が喜ぶようなお洒落な店じゃないから」
「やだぁ何よエリカ様って」
口では責めるように言いつつも、エリカの声は甘く嬉しげだ。
「すごくおいしいって聞いてるのよ?泰菜から」
「味覚オッサンだから口に合うんだろうな。モツだ砂肝だ、そんなんばっかだぜ、こいつ」
「ねぇそれ、わたしも食べてみたいなぁ?」
「どうぞどうぞご自由に。『桃庵』はいつもおっさんだらけだから、美女のお客様は大歓迎だと思うぜ」
法資の言葉にエリカは浮かれたように「じゃあ今晩必ず行くから」と受け合う。それから「近くでイルメラを見てみたい」とエリカが何度もせがむと、法資はエリカを連れ立って駐車場に消えていった。