三十路で初恋、仕切り直します。
法資の提案はありがたくもあるけれど、突然の申し出に驚いていた。そんな泰菜の反応が気に染まなかったのか、法資は泰菜を責めるように言ってきた。
「なんだよ嫌なのか」
「いやっていうか……」
「おまえはそんなに俺といるのが苦痛なのかよ」
淡々とした口調の中に不機嫌さが滲んでいるのを、長い付き合いゆえに察することが出来る。なんとも答えかねていると、今度は問い質すように訊いてくる。
「車で送られるよりひとりで帰った方がマシか」
「えっと」
「はっきり答えろ。泰菜は俺といるのが嫌なのか」
否定することは許さないとばかりに強い口調で畳み掛けてくる。質問の趣旨が少しズレてきている気がしたし、否定する方向に話を誘導されている気がしなくはなかったけれど、とりあえず、
「いや、その、そういうわけじゃないけど……」
泰菜が答えると、
「じゃあ嫌じゃないんだな?」
とすかさず断定的に問われて、思わず「うん」と頷いてしまう。すると法資は再びハンドルから手を離し、泰菜の額を小突いてきた。
「だったら決まりだ。静岡まで送ってやるよ」
法資があまりにもうれしげにそう言うものだから、ひどく動揺してしまう。正面を見据えている法資には分からないだろうが、自分の顔に熱が集まっているのを感じる。
-------深い意味なんてないのよ。ただの法資の気まぐれでしょ。
うっかりいい気分になってしまいそうになってる自分を戒めなければいけないと思うのに、理性で押さえつけることが出来ないくらい勝手に心が浮き立ってしまう。
「……そういえば、この車、どうしたの?」
話しかける言葉もどこかぎこちなく上擦る。
「これか?上海から帰ってきたとき買ったんだよ。しばらく本社勤務になるって話だったから」
「そ、そうなんだ。でもすぐシンガポール行きになったって言ってたっけ」
「ああ。わざわざ向こうまで運ぶのもなんだし、ずっと兄貴に預けてたんだよ」
そういってご機嫌に『イルメラ』の滑らかなレザーハンドルを手のひらでぱん、と弾くと、心底いとおしげに言う。
「だからこいつにこんなに長く乗ってやれるのは久し振りでな」
まるで滅多に会えない恋人との逢瀬を喜ぶような声だ。そういえば法資は愛車家で、車自体のことも、運転することも好きだと言っていた。
-------なんだ、やっぱり。
「……ただ『イルメラ』でドライブがしたかっただけですか」
すこしいじけたような言い方になることを惨めに感じながら小声で呟くと。
「何か言ったか?」
法資が勝ち誇ったように言ってくる。
--------意地悪だ。
自分があらぬ期待を抱きかけていたのを察しておきながらあえてとぼけているのだ。わざと思わせぶりな言葉を吐いておいて、こちらが勘違いしそうになると手の平返して嘲笑ってくるのは、子供の頃から何度もやられた手口だった。
まだ疑うことをしらなかった純真な小学校低学年時代には、「法資はわたしのことがすきなのかな」と思わせる発言を何度もされたことがあった。そのたび自分がすきなのは英達おにいちゃんだと伝えると、必ず「勘違いするな」とか「おまえなんかに興味はない」というような言葉を浴びせられた。
しだいに自分の自意識過剰さがはずかしくなってきて、高学年になる頃には法資に何を言われても相手にしないで受け流すことが出来るようになっていた。
思えば法資を恋愛対象としてみないでこれたのも、この経験が原因の一端になったと思う。
法資はたいして悪意のない冗談のつもりなのかもしれないが、故意に勘違いさせるようなことを言ってこちらの心をもてあそぶようなことをするのはひどい。罠に嵌められた気分だ。
「……法資のへそ曲がり。ばか、性悪男、だい嫌い」
文句を言われている法資はよほどドライブが楽しいのか泰菜になにを言われても笑ったままハンドルを握っていた。