三十路で初恋、仕切り直します。
「津田くん、さっき完全に面白がってたわよね」
今泰菜は案内役として津田と二人きりで工場内を歩いていた。津田が連れてきた新人は、田子班長自ら「山田くんは俺が案内してやるよ」と案内役を買って出て“気を利かせてくれた”ため、別々に工場見学していた。
ヘルメットを被って自分の後を付いて来る津田に、ちょっと恨みがましい気持ちで言ってやると、対する津田は「え?なにが?」と爽やかに笑ってすっとぼける。
「……ごめんごめん、そんな怒らないでよ。それにしてもさすがだよね、たーちゃん」
「何が?」
お返しとばかりに津田の口調を真似てすっとぼけてみせると、津田が苦笑する。
「あの場面であんな冷めた顔で『会う女の子みんなにそういうこと言ってんでしょ』って切り返すなんて。あれじゃ田子班長も山田も、本当に俺とたーちゃんが昔付き合ってたなんて思わないだろうね」
「さすがなのは津田くんの方でしょ?先にあんな話振って冗談言い合える程度の仲だって思わせとけば、こうやって二人きりでちょっと親しそうに話してても周りに変に勘ぐった目で見られないだろうって、そういう思惑なんでしょ?」
津田が何か物言いたげに目を見開く。
「……ほんとたーちゃんは昔から勘がいいよね。人の機微に聡いし」
「褒め言葉だと思っておくね、それ。でも本社じゃどうか知らないけど、ここではそういう細かい計算、無駄だから。ここの土地の人、よく言うとおおらかで悪く言うと大雑把だから。田子班長がいい例でしょ?わたしたちの色気のないやりとり聞いててなお、二人きりにしようとするくらいだし。深く考えたりしてないわよ」
「でも俺はこうしてたーちゃんと話が出来て嬉しいな」
なんの疚しさも感じられない笑顔に、少々にくらしい気持ちになってくる。
「あのね。結婚してる人が他所の女にそういう言葉を安売りするものじゃないでしょ」
「あれ、俺既婚だって話したっけ?」
「指輪」
指摘すると、津田が驚いたような顔で自分の左の薬指を見る。そこが空であることを確認すると、なぜかほっとしたような顔をする。
「……津田くん、詰めが甘い。日焼け痕があると指輪外してあっても意味ないよ」
再度指摘すると、津田は今度は本当に驚いた顔をする。
「うわぁ、そんなくっきりじゃないのに気付いたんだ?」
津田の薬指の根元は、幅2ミリ程度の帯状に周囲の皮膚よりわずかに白くなっていた。注意を払って見れば、そこに普段は指輪が収まっているのだろうということが想像出来る。
「感心するところじゃないでしょ。独身装って女の子でも引っ掛けるつもりなの?いつからそんな悪い男になったのよ?」
「悪い男かぁ、なってみたいなそういうの」
「あまり女子を舐めないほうが身のためよ?」
「あはは、肝に銘じておきます」
なんら悪びれた様子もなく、津田はそういって笑う。
「ところでたーちゃんは……」
「結婚してるの?とか馬鹿な質問はやめてね」
「そういえば『相原』って名乗ってたしね。あ、でも婿取った場合だと『相原』でも既婚の可能性が……」
「独身です!」
自棄っぱちで言い捨てると、津田は可笑しそうに口元を緩める。
「ひどい、そんな馬鹿にして笑わなくても」
「いや、ごめん。そうじゃなくて。きっとさ、たーちゃんがまだ独身だって聞いたら喜ぶだろなって思って」
誰がよ、と睨みつけながら訊くと、津田の口からその名前が出てくる。
「誰って、そんなの桃木に決まってるじゃん」