幸せになるために
思っていたよりは軽傷だったとはいえ、それでもやはり皮膚表面に引っ掻いたような傷ができていたので、治療を受け、兄ちゃんはそれからしばらくの間左腕に大きな絆創膏を付けて生活していた。

その時の傷痕はうっすらと残っているけれど、言われて初めて「そういえば」と気付く程度だし、きちんと躾がされている飼い犬ならば近寄っても別に怖くはないらしい。

体にも心にも致命的な傷が残らず、本当に良かった。

だから普段はお調子者でしょーもない冗談ばっかり言っているけれど、実は兄ちゃんはとても繊細で真面目でがんばり屋な人なのだった。

ホントは兄ちゃんだって、そんなに数字に強いって訳じゃなかった。

そろばんを習い始めの頃は、むしろオレより悪戦苦闘している感じだった。

だけど「せっかく始めたんだから」とオレが教室を辞めた後も一人コツコツと頑張り続け、中学生の時に見事段まで到達したのだ。

また、高校生で早々と日商簿記1級を取得して、父さんの跡を継ぐ為に、オレが気兼ねなく好きな道に進めるように、努力し続けてくれた。

つくづく兄ちゃんは優しくて思いやりがあって、そして男らしい人なんだ。


『よっしゃ、これで晴れ晴れとした気持ちで、新婚旅行に出発できるぞー!』


自分がそんな評価をされている事など露知らず、兄ちゃんは陽気に声を発した。


『あ、そうだ。たすくにお土産買ってきてやらなくちゃな。何が良い?』

「え?でもオレ、餞別渡してないよ?」

『良いって良いって、そんなの。兄弟じゃねーか。遠慮すんなよ』

「と言われても…。ヨーロッパって、どこの何が有名なんだっけ?」

『ん?知らん』


その返しに、オレは思いっきりズッコケた。


「何だよそれ~」

『いやだって俺、海外旅行なんて初めてだもん』

「オレなんか計画すら立てたことないよ。何を頼んだら良いのかなんて、分かる訳がないじゃん」

『……じゃあ、あっちに着いてから考えるか』


兄ちゃんはそう答えたあと、一瞬間を置いてから『あ!』と叫んだ。


『やべ。そろそろ次の訪問先行かなくちゃ』


おそらく腕時計を確認したのだろう。


『じゃあな、たすく。来年、正月明けに会おうぜ』

「あ、うん。気を付けて行って来てね」


一旦言葉を切ってから、オレは続けた。


「一生心に残るような、楽しいクリスマスを過ごして来てね…」
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