幸せになるために
シチューの入った鍋を温め始め、食器棚の引き出しから鍋敷きを取り出しカウンターに置いた。


「あれ?聖くんは?」


オレから少し遅れてリビングダイニングキッチンへとたどり着いた吾妻さんは、出入口付近から部屋全体を見回し、エリア内に聖くんの姿がない事に対して、疑問を投げかけて来た。


「まだ寝室で寝てるよー」


顔だけ動かし吾妻さんに視線を合わせ、シチューをお玉でかき混ぜつつ返事をする。


「テーブルのセッティングが完了してから起こそうかな~と思って」

「ああ、なるほど」


合点がいったように頷くと、吾妻さんはさらに歩を進め、リビングのテーブル前まで移動した。


「えっと…。ケーキはオードブルの隣で良いですか?」

「うん」

「どうします?もう、ろうそく立てておきましょうか?」


それに対しても流れで「うん」と答えそうになって、突然、オレはその事に気付き、慌てて前言撤回した。


「あ!や、やっぱ、ケーキは冷蔵庫に仕舞っておかない?」

「え?」

「まずは食事を済ませてから、ケーキは最後にデザートとして食べた方が良いかな~なんて」


だって、一番最初にその儀式をしてしまったら……。

必死にそう提案するオレの表情と声音から、その真意を読み取ってくれたのか、吾妻さんは数秒おいてから穏やかに返答した。


「……そうですね。まずはきちんと食事をして、ケーキは最後のお楽しみに取っておきましょう」


そう言いながら吾妻さんはこちらに近付いて来ると、紙袋をカウンターの上に置いた。


「じゃあこれ、冷蔵庫にお願いしますね」

「うん。あ、ダウンジャケットはダイニングチェアにかけてもらって良い?」


オレは鍋から離れてカウンターまで歩を進め、袋からケーキの箱を取り出しつつ促した。

たとえアパートの隣の部屋への移動だとしても、一旦外に出るので何か上に羽織っていないと震え上がってしまう。

なので吾妻さんは今黒のダウンを身に着けていた。


「ごめんね。来客用のコートかけとか、ハンガーなんかは用意してないから…」

「俺もそうですよ。人と会う時は外に出る事が多いから、たまに誰かが部屋に来た時に『あ』と思うんですけど、すぐに忘れちゃうんですよね」


吾妻さんはダウンを脱いで椅子の背もたれに掛けながら言葉を繋ぐ。
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