幸せになるために
「……行ったみたいですね」


四つん這いの姿勢で呆然としていたオレは、背後からの吾妻さんのその声に自分を取り戻した。

すっくと立ち上がり、窓辺に近付いてカーテンを少し開けると、天を見上げ、おそらく今、元気に夜空を駆け抜けているのであろう、聖くんに向かってエールを送る。


「頑張って!ちゃんと真っ直ぐ、神様の所まで行くんだよ…」


道はきっと、開けている筈だから。

ゴールに見えるまばゆいばかりの光に向かって、一直線に突き進んで行って。

もう我慢する必要はない。

オレは両目から流れ出す涙をそのままに、大きくしゃくりあげながら、しばらくの間、天を見上げていた。


「ふっ…」


しかし、そんなオレを凌ぐ勢いで、吾妻さんが盛大な嗚咽を漏らす。


「どうしてっ。あんなに、良い子が……」


びっくりして振り向くと、メガネを外し、右手の平で顔を覆って、肩を震わす吾妻さんの姿が。

その仕草に、必死に自分の感情を抑え込もうとしている様子がありありと伺えた。


「……遠慮しないで、泣いて良いよ」


オレは数歩移動して吾妻さんの隣に膝を着くと、彼の背中と後頭部に手を添え、そのまま自分の胸へと引き寄せた。


「ごめんね。オレが頼りないから、今まで堪えてくれていたんだよね」


それぞれの手で、ゆっくりと、優しく、吾妻さんの体を撫でさすりながら囁きかける。


「もう、我慢しなくて良いよ。今度は吾妻さんが、思いっきり、泣く番だよ…」


男は男らしく。

女は女らしく。

今の時代、そのような物言いは、場合によっては男女差別、さらにはセクハラと認識されてしまう事もある。

確かに、性別によって、その人の立ち居振舞いを制限されてしまうのはおかしな話であると思う。

人は自分の生きたいように、生きて良いと思う。

しかし世の中には、その事に囚われ過ぎて、過敏になり過ぎて、男らしくありたいと思う男の子を、女らしくありたいと望む女の子を『そんな考え方は時代錯誤である。男女差別だ』と目を血走らせながら、躍起になって、中性的に生きる事を強要するような、頓珍漢な後押しをする人も存在していたりする。

「~らしく」を禁句とするのは個性を尊重する為の配慮であった筈なのに、それでは本末転倒ではないか。

男らしく、強くなって、母親と男を自分の手で救いたいと願っていた聖くん。
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