幸せになるために
「あ。でも、仕事はその後も続けますよ?新居となるアパートは実家より職場に近いからむしろ通いやすくなるし」

「そうだよね。自分にとってやりがいのある仕事に就けたんだもん。結婚後も続けたいよね」


ウンウンと頷きながら返答する。


「じゃあ渡辺さん、結婚に向けて、今が一番楽しい時だね」

「いや…。そんな浮かれてばかりもいられないんですよ。式場選びやら何やら、ほんっと次から次へとやる事目白押しで…」

「え?でも、女性はそういうのであれこれ悩むのもまた楽しいものなんじゃないの?」

「えー?勝手に決めつけないで下さいよー。他の人はどうだか知りませんけど、私は正直げんなりしてるんですから」


その言葉を裏付けるように、渡辺さんは思いっきり顔をしかめつつ反論した。


「ただ好きな人と一緒になりたいだけなのに、なんでそこに至るまでに、こんな面倒くさい思いをしなくちゃいけないんですかねー」


興奮気味に発せられたその言葉に、オレは突然ハッとした。

まるで、雷にでも打たれたかのような衝撃。

『ただ、好きな人と一緒に……』

「私は別に婚姻届けを出すだけでも良いと思ってたんですけどね。でも、彼が結構お堅いとこに勤めてるもんで、結婚式と披露宴はきちんとした段取りを踏んで、それなりの規模でやらなくちゃいけなくて…」


そこではぁ~、と盛大にため息を吐いたあと、渡辺さんはそれまでとは口調を変えて呟いた。


「…すみません。ついつい愚痴ってしまって」


思わず自分の世界に入り込み、フィルター越しに渡辺さんの弁論を耳で捕らえているような感覚でいたオレは、彼女のその謝罪で我に返った。


「こんな事言われたって、比企さん困っちゃいますよね」

「あ、い、いや…」


慌ててここまでの会話の流れを反芻し、フォローの言葉を繰り出す。


「オレの方こそゴメン。本人の苦労も分からないで、能天気な事言っちゃって」

「いやいや。『苦労』なんて言われちゃうと、ますます自分の発言が恥ずかしくなりますよ」


渡辺さんは苦笑を浮かべつつ続けた。


「お互いの両親に快く結婚の承諾をもらえて、立派な式と披露宴もできる事が決まっていて、本来ならそんな幸せで恵まれた環境にいる事に心から感謝しなくちゃいけないのに、こんなグチグチと文句を垂れ流すなんて、贅沢にも程がありますよね」
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