幸せになるために
言いながら、渡辺さんはどこか遠くを見るような目つきになった。


「これがかの有名な、マリッジブルーってやつなんでしょうかねぇ…」


しかしその表情と口調はどこか芝居がかっているというか、とてもおどけた感じで、この場を和ませようとしているのがヒシヒシと伝わって来た。

つまりいつもの渡辺さんに戻ったという事だ。

その事に気付いて改めて彼女の表情を観察してみれば、先ほどよりもだいぶ晴れやかな感じになっている。

今まで溜まっていた鬱憤を素直に吐き出す事ができて、かえって良かったのかもしれない。


「渡辺さんでも、ブルーになる事があるんだねー」


だからオレも、あえて憎まれ口を叩いてみる。


「まっ。失礼な!私だってまだまだ、か弱くてうら若き乙女なんですからね!」


キッ!という感じでこちらを睨む渡辺さんのそのあくまでもコントじみた仕草に、思わず吹き出してしまった。

それにつられて渡辺さんも『ぷっ』と笑いを漏らす。


「…はぁ~、何だか、すっきりしたー」


そしてしみじみ、という感じで言葉を発した。


「ホント、比企さんて良いな~」

「え?」

「癒し系というか何というか…。ドロドロとした、陰鬱な気持ちで吐き出してしまった言葉でも、比企さんはそれをしっかりと受け止めてくれて、しかも綺麗に濾過してとても清らかで優しい物に変えて還してくれるんですよね。今までも、色んな場面で救われました」

「え。そ、そう?」


何だか、すっごく照れるんですけど……。


「あ。でも、勘違いしないで下さいね?恋愛感情はこれっぽっちも抱いてませんので。比企さんて、何故かそういう対象として見られないんですよね」

「ちょっ。別にそんなこと解説しなくても…」

「そういう次元の人じゃないっていうか…。ん~、なんか、うまく説明できない」


渡辺さんは見るからにもどかし気にそう呟いたあと、話をまとめた。


「とにかく、比企さんのことは一人の人間として、とても大好きですし、心から尊敬しているんです」


茶化す感じではなく、オレの目を真っ直ぐに見据えて、とても真剣な態度で。


「……ありがとう」


だからオレもここはおちゃらけずに、素直に礼を述べる事にした。


「さて、と」


言いながら、渡辺さんは自分の膝をパン、と叩き、それで弾みを付けるようにして勢い良く立ち上がる。


「そろそろ戻りません?もう、体調の方は大丈夫でしょう?」

「あ、うん。そうだね」


オレも立ち上がり、先にドリンクバーコーナーへと向かった渡辺さんを追いかける形で歩を進めた。


「あ、ところで」


ふいに気になった事があり、端の方に置きっぱなしにしていた自分のグラスを手に取りながら、コーヒーマシーンの前でどの種類にするか思案中の彼女に問いかける。


「渡辺さん、『ウェルカムボード』はどうするの?手作り?それともスタッフさんに手配してもらうの?」
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