幸せになるために
実家にはもちろんあったけど、アパートの方には救急箱は用意してないんだよな。

薬が必要になったらその都度買えば良いかなって思っちゃって。

それに、前もって救急箱を用意していると、日常的に目にする機会が増える訳だから、ちょっとテンションが下がるというか…。

あれを開ける時ってのは当然、ケガした時や体調が悪い時だから、苦い記憶の象徴的存在なんだよね。

しかも実家にあったやつは木製でいかにも『ザ・救急箱!』って感じのデザインだったから、視界に入る度に条件反射的に何とも言えない気持ちが込み上げて来ていた。

でも、ああいうポップな救急箱だったら、そういった精神的負担も軽減されるかも。

そう考えた所でふと、視線が網棚の奥に置いてあるデスクへと動いた。

勉強机の上の部分を取っ払ったような形で、椅子に座った場合の視点で右端奥に様々な色、太さのペンが立っている、元は菓子が入っていたと思われる高さのある楕円形の缶が乗っていた。

その左隣には白い半透明の、工具入れみたいな形のプラスチックケース。

うっすらと中身が透けて見えるけれど、フタが閉まっているし、何が入っているのかまでは確認できない。

そしてその手前に、パッと見30×40センチくらいの、長方形の、色紙のような厚手の紙。

それを目で捉えた瞬間、胸の鼓動がはね上がった。

もちろん、数メートルも離れたこの位置からでは詳細までは分からないけれど、それがどういった物であるかの判断は充分にできた。

そこでハッと我に返る。

今さらだけど、あんまり人の部屋の中をキョロキョロと見回さない方が良いよな。

そこでオレは姿勢を正して椅子に座り直し、視線を目の前のダイニングテーブル上に落ち着かせた。

ここまで来てしまったんだからもう、あずまさんのお言葉に甘える事にしよう。

ホント、なめときゃ治る程度の傷だとは思うんだけど、ひとまず手当てだけはしておかないと、あずまさんに安心してもらえないだろうから。

それに…。

彼に対しての興味が急激に沸き起こり、色々と話をしたくなって来てしまった。

このまま退散する気にはなれない。


「お待たせしました」


ほどなくして彼が救急箱を手に戻って来た。

オレの座る椅子の傍らで立ったまま、箱をテーブルに置き、フタを開ける。
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