幸せになるために
いや、勝手に人物像を設定してから接するから、そのギャップに気付いた時に、よりその面が強調されて見えてしまうだけなのかもしれないけれど。

今もこちらに向けられている、赤いフレームのメガネの奥の視線は意外と鋭く、情けなくもオレは、二才年下の彼女に若干圧倒されながら返答する。


「一人暮らしを始めてそろそろ一ヶ月経つからさ。どうやら疲れが出始めて来たみたいで…」

「あー、なるほどぉ。やっぱ一人暮らしは大変ですよね。私もそうでしたもん。あ、お先にどうぞ」


休憩室にたどり着いた所で、入口付近の壁際に設置してある洗面台を右手で示しながら渡辺さんがそう言ってくれたので、お言葉に甘えて先に手を洗わせてもらった。


「しかも私の場合、社会人になったのと同時でしたからねー。金銭的にも精神的にもほんとキツかったー」


洗面台を明け渡し、エプロンのポケットからハンカチを取り出しているオレに向けて、渡辺さんはせっせとハンドソープを手のひらの上に出しつつ話を再開した。

彼女も子どもの頃から図書館で働く事を夢見ていて、司書課程のある大学に入ったらしい。

そして迎えた就職活動。

言わずもがなで、地元では募集が無かったけれど、隣県で公立図書館の司書の採用試験があるという情報を察知し、嬉々として臨んだ。

しかしとにかく尋常じゃない倍率だったらしく、そちらは残念ながら不採用だった。

だけど遠く離れた別の県の大学で、2年間という期限付きの、嘱託職員の募集があり、ダメもとで試験を受けてみたところ見事採用され、そこで一人暮らしを開始したらしい。

その契約があと少しで切れるという頃、オレも登録している会社にて、この図書館で働くスタッフの追加募集が始まり、またもや目敏く求人を見つけた渡辺さんは当然応募し、これまた無事に採用されたという訳だ。

そして今度は都内でアパートを借りようとしたらしいのだけど、充分通勤圏内であるということ、そして「これ以上無理するな」というご両親の強い勧めもあり、この図書館に勤めるのを機に、一人暮らしは解消して実家に戻ったらしい。

そういう話を聞くと渡辺さんはとてもアグレッシブな人に思えるかもしれないけれど、図書館勤務希望の人にとって、働き場所を求めて全国各地を転々とするというのは実はさほど珍しい事ではない。
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