幸せになるために
実は上司の佐藤さんもそんなジプシー生活を送っていたうちの一人だった。

そして勤務場所三ヶ所目となる図書館で、司書ではなく事務方として勤務していた市の職員の旦那さんと運命の出会いを果たし、結婚に至った。

さすがにもうあちこち転々とする訳にはいかなくなったので、その図書館の任期満了後は就活はせずにひとまず主婦業に専念する事にしたらしい。

そして妊娠、出産を経て、お子さんが手がかからなくなった頃に『そろそろ何か仕事をしようかな』と思い立ち、久々にあれこれ求人情報を収集したところ、件の会社が図書館への派遣スタッフを募集している事を知り登録、採用された。

そしてその図書館で数年勤務した後、今の職場に配属されたという訳だ。

俺の場合、図書館に就職したいという気持ちは当然あったけど、公務員として勤務するのはまず無理だと思ったし、かといって渡辺さん達のように嘱託や臨時としてあちこち転々とする度胸も覚悟もなく『とりあえずバイトとして働く事はできたし、それで良しとしよう』と自分に言い聞かせ、一般企業をターゲットに就活を始めた。

しかし、あらかた希望の企業の試験を終えた頃、この仕事の募集を知ってしまい…。

諦めた筈だったのに、気付いたらさっさかエントリーをしていて、筆記試験と面接の後、驚くべきことに、無事採用されていたのだった。

その頃二社ほど内定の連絡をいただいたのだけれど、もちろんそちらは丁重にお断りした。

しかし自分にとっては憧れの地でも、周りから見た時に、やはり諸々の不安要素が目に付いてしまうようで。

家族や友人は「あんな優良企業で正社員として働ける権利を辞退してしまって良いのか?」「その選択で後悔はないのか?」と念押しして来た。

しかし、後悔どころか未来への希望しかないオレのイキイキとした表情を目の当たりにし、その決意が揺るぎないものだと知ると、すぐに前途を祝福してくれたのだった。

そういった過程を経てオレはこの図書館で働くこととなり、現在に至る。

今思えばホント、比較的近場で、オレが卒業する年度に合わせて、しかも複数名採用予定の図書館の求人が出た、というのはとてつもなくラッキーな事であったと思う。


「まぁ、憧れに憧れて就いた職業ですからね。仕事自体は楽しくてとてもやりがいがあったから、何とか2年間、やり遂げられたんですけど」


泡立ったハンドソープで念入りに手を洗浄しつつ渡辺さんはそう言葉を発した。


「良かったね。その後、自宅から通える場所に勤務できて」

「ホントですよー!おかげで、僅かずつですけど貯金もできるようになったし。ウチの親は元々、『お嫁に行くまでは一緒に暮らそうよ』って考えの人達だから、私が実家に戻った事をすごく喜んでくれてるし、誰にとっても幸せで大満足な生活を送れてるって事ですね」


言いながら、渡辺さんは手に付いた泡をキレイに洗い流し、蛇口を閉め、オレ同様エプロンのポケットからハンカチを取り出した。

そのまま自然の流れでオレ達は肩を並べて歩き出し、洗面台がある側とは対面の壁に設置してある、スタッフ用のロッカーへと近付く。

職場には制服というのは無くて、私服にエプロンを着け、首からネームプレートを下げるだけなので、わざわざロッカールームを男女別に分けたりはしていない。
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