幸せになるために
その力に抗う事など、幼い聖くんにできる訳もなく、そのまま勢いよく後ろ向きに倒れ、そして、テーブルの角に頭を強打した。


『こうき!』


その時の母親の叫び声は果たして彼に届いたのだろうか。

聖くんはそのまま意識を失った。

そして……。


二度と、目覚める事はなかったのだった。



突然、視界が大きく揺らぎ、次いでガチャガチャーン!という激しい音が鼓膜にダイレクトに響いて来た。


「比企さん!?」

「あ…ご、ごめん…」


一瞬何事かと思ったけれど、すぐに、自分が目眩を起こし、ダイニングテーブルに突っ伏すようにして倒れ込んだのだという事を認識する。

そしてその際に、目の前にあったティーカップを手でなぎ倒してしまったらしい。


「大丈夫ですか?」


吾妻さんは素早く立ち上がり、ティーカップを元の状態に戻しつつオレの顔を覗き込んで来た。


「火傷はしてませんか?」

「あ、うん。こっちには全然かかってないし、それに、もうだいぶ冷めちゃってるから…」


せっかく出してもらったのに、話に夢中で全然口を付けてなかったんだよね。


「それより、ごめん。コーヒー溢しちゃって」


オレはよろよろと起き上がりつつ言葉を続けた。


「何か、拭くものを……」

「ああ、どうぞ。お気になさらず」


吾妻さんは体を捻ってすぐ横にあるカウンターに手を伸ばした。

その上に置いてあったティッシュの箱を手に取り、中身を抜き出しつつ再びダイニングテーブルに向き合うと、濡れた箇所をそれで拭き取る。

ほとんどの量をソーサーが受け止めていたので、テーブル上はさほど濡れていないし、床にも被害はなかったようだ。


「……ごめん。ホントオレって、情けないよね」


コーヒーを吸いとったティッシュをキッチンのゴミ箱まで捨てに行き、水で濡らした布巾を手に戻って来た吾妻さんに向けて、自嘲混じりに言葉を発する。


「いや…。ショッキングな内容でしたからね。気分が悪くなるのは、それは仕方がないですよ」

「……見たくなければ、目を逸らす事ができる」


オレの独り言のような呟きに、テーブルの上を布巾で拭いていた吾妻さんは動きを止めた。


「聞きたくなければ耳をふさぐ事も。ここで事件を振り返っているオレにはね。だけど……」
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